小学校教師が「水分補給許可制」の謎ルールの意義を考察してみる
本記事の概要
最近、インターネットやテレビでも学校のいわゆる「謎ルール」「謎校則」に疑問を投げかける意見が多く見られるようになった。
しかし「ルール・校則の意義」は学校側の説明は一般にはあまりされない(保護者・児童にはしている?)。
私は4月から小学校で働きはじめ、4ヶ月が経った。正直理解に苦しむ「謎ルール」も確かに多くあるが、そのうちいくつかは「学校視点」になったことで、少し意義がわかったものもある。
そのうち本記事では、謎ルールのひとつ「水分補給制限」について考察する。
「謎ルール」にも一応の意義はある。
しかし、それ自体はやはり不完全さを内包している。
不完全さが解消されない要因には、「学校と社会の関わりの難しさ」がある気がしている。
※本記事では私の勤務校の慣例に倣い、「校則」という文言は使用せず「ルール」という言葉で代替している。
「水分補給許可制」についての批判
本記事を書こうと思ったきっかけになった、ある日の私のTLで目を引いたTwitter上の投稿です。多くのリツイートやふぁぼをもらっており、リプ欄には水分補給に関連する学校の謎ルールへの批判がぶらさがっていました。
一部だけ載せましたが、リプ欄では、命に関わることだけに、かなり辛辣なご意見が並んでいました。載せていませんが「戦前教育のままだ」のようなご意見もありました。
大人視点だと「謎」は深まるばかり
ここ数年、夏は異常な暑さですよね。そんな中で連日、学校活動中の熱中症の報道がされていましたね。熱中症寸前まで練習をしたり、学校側の水分補給配慮の不十分な指導が指摘されています。
そんな中、「水分補給に制限がある」なんて聞いたら、大人は「なんでこんなルールあんのww」って思うのは当然の感覚ですよね。
しかし、私が多くの学校のルールに対する批判を見ていて、と思うのは、
①「子どもは大人とは違う」
②「学校は不特定多数を一斉に見なければならない場所である」
という視点がない(まあ当然なんですけどね)ことが「学校意味不明すぎワロスww」になる要因かと思っています。
詳しく言うと、、、
①について。
子どもは未熟です。子どもと大人では「節度(ちょうどよいところ)がわからない」「集中・注意がすぐそれる」点において大きく違います。当たり前なんですが、節度もマナーも注意力(集中力)も発達しきった大人の感覚で議論してしまうと、「社会の常識とかけ離れてる!」「子どもがかわいそうだ!」になりがちです。
②について。
後でも少し触れますが、「小学生の行動を管理する」ことを学校に求め続けると、最終的には学校は「やっていいよ」「やっちゃだめ」の2パターンの画一的なきまりごとでしか決められなくなります。
「ケースバイケース」「状況による」が含まれるルールを一斉指導で小学生全員に理解させるのは難しいからです。理想論を言えば、一人ひとりに話して「この時はこうだね」「こういう場合はいつもとは違うね」と話してあげられれれば一番いいのですが、学校という場では、時間的にも人員的にも現状できません。なにしろ大人の数の30倍くらい子どもがいるのですから。こういったわけで「一律の」「制限が強い」ルールが発行されるのだと思います。
当然だが学校で熱中症になるのはNG
前提として、学校での活動中に児童生徒が熱中症になった場合、学校に全責任があることは誤解なきように申し上げておきます。それは人様の子どもの命を預かる側として当然です。熱中症の児童生徒が出ないように、健康観察や水分補給、冷房の管理など学校側は事前にできることはすべてやるべきです。
登下校中が学校の管轄範囲内かは少し曖昧ですが、登下校中のルールを学校側が呈示している以上、一定の責任を負うべきだとは思います。
「水分補給制限」の意義について考える
それをふまえて、小学生に「謎ルール」の「水分補給の許可制」。今日は3つのパターンのルールについて「そのルールが何に役立ってるのか」を考察していきましょう。
「謎ルール1.授業中の水飲み禁止」
ルールの意義 :授業に集中してもらう環境づくりの一環。
留意点 :緊急に水分を欲している子どもに我慢を強いる形になる
仮に授業中、自由に水飲みOKだとしましょう。もし大人であれば、授業に支障のない範囲で、周りの受講者の迷惑にならないように飲むことができるでしょう。
しかし、子どもは違います。音を立てたり、こぼしたりもするでしょう。また、大人と違い、授業を聞きながら飲む、なんて高度なことはできない子も多くいます。飲むことに必死になり大事な指示を聞き逃すかもしれません。また、集中が苦手な子には、水を飲むことに注意がもっていかれて、何度も離席を繰り返す児童も出てくるかもしれません。
「水筒を手元に置いてはいけない」のもおそらくこれが大きな理由で、小学生ってめちゃくちゃ物落とすんですよ。マジかよ、ってくらい。鉛筆や消しゴムなど、これは日々一緒にいないとわからないと思いますが、これも大人の感覚で考えてはいけません。低学年の教室で水筒を手元足元ににおいたら教室のあちこちでガシャンガシャン音となり集中できないでしょう。なので、多くの教室では水筒は所定の位置があると思います。
それでも熱中症がこれだけ深刻さを増している中、水分補給については担任の先生は常に意識し、配慮する必要があります。私の学校では、申告すれば授業中でも水を飲んでもOKにしているクラスがあります。手元に水筒をおいて授業をしているクラスは見たことありませんが、Twitterの教員アカウントの中にOKにしている先生もいらっしゃいました。(それでも高学年くらいにならないと難しいと思いますが)。いずれにしても休み時間には声をかけて全員が水分をとるようにしておくのは必須ですね。
ちなみに私のクラスは許可なし水飲みOKです。特別支援学級の担任で、小人数指導なこともあり目が行き届くからですね。まぁ本校はエアコン完備なこともあり、多くの場合45分は飲まなくてもやっていけているようですが。
「人が話しているときに飲むのは失礼だから」と子どもに教えている先生も多いようですが、私自身は適切ではないと思っています。「人が話しているときに水を飲むと失礼になる」かどうかは「時と場合に寄る」からです。「自分が必死で話しているときに、聞いている側が水を飲むのが嫌な人もいる」ことや「のどが渇いていても我慢しなければならないときもある」くらいは教える必要があるかもしれませんがね。
「謎ルール2.登下校中の水飲み禁止」
ルールの意義 :地域の人からのクレーム対策
留意点 :帰り道での命の危険
このルールについてですが、私の勤務校では登下校中の水飲みを禁止してはいないので、あくまで私の想像です。
おそらく、近隣の店舗や民家の方からの苦情があったのがこのルールが発行に至った発端なのではないでしょうか。
と、いうのも登下校中の小学生(ランドセルを背負った子ども)の行動によって、近隣の人に何らかの迷惑をかけた場合、須らく「学校に苦情が来る」んですよ。
水飲みの苦情を想像するとこんな感じでしょうか。
「おたくの小学生がうちの前でたむろして水を飲んでいる(なんとかしてくれ)」(想像)
「おたくの小学生が水を飲みながらだらだら歩いていて通行の邪魔(なんとかしてくれ)」(想像)
こういった苦情の悩ましい点として「対象の児童への個別の指導が不可能」なんですよね。その場にいたわけでもない学校の職員は、なにが不適切だったのかわからず、というか当該児童が誰かもわからず。行き着く先は、一律「登下校中の水分補給全面禁止」です。住民の苦情を意識しているからこそ、こんな理不尽なルールが作られているのでは、と思っています。
仮にそうだとしたら、その場で迷惑を被った人が小学生に注意してくれればいいのですが。そうすればそこで完結しますからね。ただ、今の時代、子どもに注意ができる大人、も少なくなっているのではないでしょうか。だから学校に連日苦情が来るのでしょう。私の勤務校でも、児童の近隣でのお店での態度や登下校中の態度などについて苦情は連日来ていますし、その度指導をしています。しかし、時間のないなか行われるその指導はやはり画一的なものにならざるを得ませんね。(「登下校中、しゃべるの禁止!」ってなりそうで怖いです)
と、勝手に「登下校中の水飲み禁止」の意義を考察しましたが。多分に想像が入っているので違うかもしれません。「登下校中」のルールということで近隣の方たちを意識したルールなのは濃厚だと思うのですが、、、私の思いつかない意義が他にあるのかもしれませんね。
でも、普通に考えてこの暑さの中、子どもの足で30分くらい歩く子どももいるわけですから。多少の迷惑が発生したとしても水くらいええやろ、って私は思います。これは学校にも近隣の皆様にも理解してほしいところではありますね。
謎ルール3:「校外学習で移動中の水飲み禁止」
ルールの意義 :円滑・安全に行程をすすめるためのルールの一つ
留意点 :周りから見たら「小学生理不尽。。。かわいそ。。。」ってなる・
これはですねー、なかなか大勢の子どもを連れて出かける体験をしないと理解し難いかもしれません。
大人の感覚だと、「いいじゃん水くらい。そんな迷惑かからんし」って思うでしょう。しかし前述した通り、「小学生はまだ節度について理解が未熟」です。なので、「一般に飲んでは行けない場所」などで知らずに飲んでしまう可能性があります。そして集中力も未熟ですね。もしかしたら車内で飲んで水をこぼすかもしれませんし、飲んでいるときに先生の指示を聞き逃すかもしれません。
校外学習では、見学先など学校以外の人たちも関わりますし、公共交通機関を使う場合は一般のお客さんとの接触も考えられます。そして事故のリスクも校内の活動の何倍も上がります。子どもたちも楽しい行事でテンション上がってますしね。なので、校外学習中は校内よりもルールを「細かく」「厳しく」する場合が多く、教師側もピリピリしていることが多いです。
上のツイートで注意された児童(生徒?)にとって理不尽に感じたかもしれませんし、周りからしたら「水くらいで何を。。。」と思うかもしれません。ただ、上記の内容をふまえて状況を見ると、おそらく「許可されたときだけ水を飲む」といったルールを設定されており、「水を飲んだこと」ではなく「ルールを破ったこと」、について先生は叱責したのではないか、と推測することができます。(その叱責の仕方が適切な指導だったかどうかはまた別の議論です)
もちろん、子どもたちが「安全に帰ってくる」ことが大事なので、多くの場合、水分補給の時間等も用意されていると思います。ただ、お子さんによっては水分補給の配慮が不十分な場合もあるのかもしれませんし、それについては引率側は常に確認しながら勧めていかなければなりません。
子供たちのためにできることは
さて、3つの「水分補給制限ルール」がもつ意義について考察したところで、思ったことをつらつら。
ルールに縛られると自主性・考える力が育たない
この指摘はめちゃめちゃ正論だと思います。学校っていうのは本当にルールが多い。そして、小学生段階だと、「なぜだめなのか」はあまり考えず(考えているかもしれませんが言動には出さずに)、従順にルールを守る子がほとんどです。しかし現代の変化の激しい時代を生きていくためには「自分で考える」力が必要である、そこには私も同意します。
この先、これまでの縛りを少しずつ緩和し、子どもに「自分の判断で行動を選択する」幅を広げていく動きが学校では重要ではないかと思います。
学校の緩和できない事情
最近学校のルールに言及する風も感じており、学校内にルールの緩和を提起する声も出始めていると思います。一方で、校内にもありますが、それ以上に地域・保護者からの要請(圧力ともいいましょうか)が障壁になっているケースは多々あります。
宿題を出さなかったら、保護者から苦情が来た事例が報告されたように、下校後の小学生の態度まで管理をするように要請されます。「もしルールを緩和したら、地域・保護者からまた苦情を言われるのでは?」そんな思考が、管理職はじめ学校全体に根深く浸透しているのです。
前述したとおり、謎ルールにはそのルールなりの「意義」が必ずあります。「謎ルール」への批判や意見については、そのルールが「社会一般と比べて不自然かどうか」よりも「そのルールがもつ意味を別のもので代替可能か?」の視点がないと、ただの学校への誹謗だけで終わってしまう、内部にいるとそう感じます。そうなると結局何も変わらず、最終的には子供と学校、どちらも苦しんで共倒れです。
ルールは場面場面で違うことを教えていきたい
今せめて、一教員、そして1児の父としてできること、それは組織(集団)の数だけルールはある。ということを子どもたちに教えていきたいです。
学校での「謎」ルールは社会人からしたら「謎」でしょう。しかし、そのルールは何かしら理由があって存在しています(すべてのルールが適切なものとは言っていません)。
「学校のルールは、社会一般からしたら謎だし変だよ」だけ言ってしまえばそりゃそうなのです。なぜなら「社会」と「学校」は違う。一番はじめに言った通り、「不特定多数の未熟な人間が集まり、共に成長をしていく場」なのです。成熟した人間が過ごす社会一般とはルールが違って当然です。繰り返しになりますが大事なのは「社会と同じかどうか」ではなく、「なぜそのルールが必要なのか」だと思っています。
学校のルールは多くの場合、「学校という特殊な場だから」必要なルールが多くあります。学校のルールを守ることがすべて「社会でも生きる」とも思っていません。
なので例えば小学生が学校外で、「学校では、先生が許可するまで水飲んじゃいけないルールなんだ(だから飲まない)」と言ったとしたら、「学校ではそうなんだね。ここでは、自分のタイミングで飲んでいいよ」と言ってあげたいです。
この先、私なんかには想像もできないだろう様々な環境で活動することになる子どもたちには、「学校のルールが絶対」ではなく、せめて、その場その場で「ルールは環境によって違う」ことを知ってほしいと思います。
厳しいルールはときに誰かを集団から弾く
水飲みとはすこし外れて蛇足です。
私は現在小学校の特別支援学級の担任をしています。数え切れないほどある「学校のルール」のいくつかについて、「ルールを守る」ことが難しいがために特別支援学級に在籍している(本人にとっては、特別支援学級にいることを余儀なくされているといってもいいかも)児童もいます。なかなか全体指導に注力したルール作りをしていると、そういったところは見落とされがちです。そこも忘れないように考えていかなければ、です。
教師が一般感覚からズレているのは認める
我々教員は「謎ルール」に囲まれ、ルールを作りながら生活しています。「謎ルールがある生活が当たり前」な中、問題が起きたら「禁止ルールを増やす」「そのルールを守らせる」、ことに指導の方向性が向かいがち否めません。これは学校という組織の病かもしれません。「そのルールの意義は?」「他に方法は?」と常に職員は考えていかなければなりませんね。あとは、子どもたちが社会に出たときに、ギャップを感じにくいようにしてあげたいですよね。
若手の先生たちの中には自分のクラスで「子どもたちに考えさせる」というのを意識してやっている人もいます。「きまりは最小限に」という方法は、理想的かもしれませんが、運営の労力はかなりかかります。けど、今の学校のガチガチな感じは社会の多様なと個性を求める社会の方向性とマッチしていない、と考える先生もいるのかもしれません。
まとめ
今日は水分補給の「謎ルール」について、その意義について考えていき、最後はなんかまとまらなくなってしまいました。
「水飲み制限」の意義がないわけではないってことだけ伝われば。
今後もルール作りのあり方は「ルールを作る側」が慎重に考えていかなければいけません。