グレ教員の日々の感想

学校嫌いな小学校支援学級教員。日々の思いを忘れないように書くブログ。子育て、学校、読んだ本とか。専門は発達障害支援。

特別支援の教員の私が「筆算の定規強制」を忌み嫌う理由。

小学校で、筆算で横線を引くときに「定規を使う」ことを強制する担任の多いこと多いこと。

SNSで出回る「トンデモ採点の写真」で、「筆算で定規を使わなかったら減点」というのを見た時、「んなアホな」と思っていた私だったが、つい最近私の勤務校でも同じ採点をしている教員をみかけたので、実際に「トンデモ採点」は沢山いるんだと気づいた。

 

 

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私の考えだが、「筆算の定規使用強制」は得られるメリットの他にデメリットが大きすぎるので、基本的に「強制」すべきことではない。もし何も考えずにやってしまってる教員の人は、思い直してほしいと思っている。また、子育て中の親御さんで、自分の子の担任が「定規強制派」の人間だった親は本当に気をつけて、自分の子供の健全な発達を守ってほしいと考えている。

 

筆算で定規を使う薄〜いメリット2つ。

メリット①ノートがきれいに見える。

私はノートがきれいに見えることをメリットと思っていない。が、多くの小学校教員はノートがきれなこと、がとても大事なことだと思っていそうだし、「定規使用」を推奨してる先生ってもれなく多分そう思ってる。きれいにノート書いてたらなんとなく頭よさそうに見えるよね、でもそうじゃないよ。

 

メリット② 桁をそろえやすい

私の考えられる範囲ではこれが一番の定規を使うまともなメリット。

特に掛け算や割り算の筆算で、小学生は結構桁を間違えて計算しがち。特に位取り。

桁の間違えは、横線が斜めに書かれることによって起きがちなので、まっすぐ横線を引く、という意識をもたせるのは重要。そのために「定規使用」を推奨するのは、まぁ合理性はあると思ってる。

 

定規強制のメリットなんかほとんどない。

思いつく限り、上にあげた2点くらいしか定規を使わせるメリットがない。ノートがきれいかどうか、と算数の力って別物だし、「桁を間違えないようにする」ためなら、定規を使用しているかどうかではなく、桁をそろえて書いているか、を評価すべきだ。幸い、ほとんど小学生は算数で方眼ノートを使用していると思う。方眼紙のマスをちゃんと使い、定規なんぞなくてもまっすぐノートのマス目に沿って線を引く意識をもたせるべきだ。そのほうが今後よっぽど役に立つ。

 

 

 

筆算で定規を使わせる大きすぎるデメリット2つ。

メリットが少ないだけなら、私はまぁ流せる。小学校にはメリットが少ない謎のルールは多いし、納得はできんが全部にいちいち突っかかってはいない。ただし、「定規強制」おめーはだめだ。デメリットが大きすぎる。看過できない。

 

デメリット①子供のリソースが奪われる。

上にあげた定規使用のメリットは「きれいに見える」「桁間違えない」の2点くらいしかない。逆に言えば、「フリーハンドでそれなりにまっすぐな線が書け」たり、計算に慣れてきて「桁を間違えることがない」児童にとっては完全に無駄な作業である。

 

10分で定規を使って6問の計算をきれいに書く児童と、10分で定規を使わずにパッパッと10問の計算を終える児童、どっちが学習の効果が高いか、わからん人はいないだろう。

上の例は大げさではなくて、小学校高学年の計算だと、本当に「定規使用」と「定規未使用」のスピード感はこれくらいある。割り算の筆算とかだと、1つの計算で横線が3回くらいでてくるから、その都度、定規を出して〜、合わせて〜、引いて〜、定規しまって〜、なんてやってたら結構な差が出てくる。

 

やって無駄なこと、を子供に強制するとか虐待に近い。

 

デメリット②理不尽な「バツ」は子供のやる気を削ぐ。

計算を一生懸命やって、答えも出したのに、「定規を使っていないからバツ」なんていうのは愚の骨頂。どう考えても子供のやる気はさがる。バツつけられて「勉強っておもしろい」という思考の子供は全体の数%だろう。小学校で「勉強はつまらないもの」と子供に誤解させるような行為が今後その子の人生にどれだけ悪影響を与えるのだろうか。少し考えてみるといい。

 

被害者は算数が苦手な子たち。できる子たちは対応する。

ひとつ言っておくと、いわゆる「できる」子達には、実はそんなに目に見える実害はない。理由としては、「できる子は」そもそも使えるリソースが多いから。定規で無駄なリソースを削られたとしても計算したり思考したりする余力はある。

もしかしたら、定規を使わされていたとしても、大した負荷だとは感じていないかもしれない。これが定規強制を推す教員が勘違いしているのかな、と思うが、できる子たちを見て「定規をちゃんと使っているから、できるようになった」と思っていないだろうか。実際は「できる子は定規を使わせても問題なくできる」であり、きっとその子たちは「定規がなくても問題なくできる」のだ。

 

かわいそうなのは算数の計算に自身のリソースの多くを割かないと行けない「算数が苦手な子」だったり、「道具の操作や書くことが苦手」な子たちだ。この子たちは、定規で線を引く、という至極どうでもいいことのために、本当にやりたかった算数の計算に多大な影響を受ける。この子達が計算のたびに負荷を書け続けられていることを想像してほしい。今後その子達が算数が得意になったり好きになったりすることがあるだろうか。

 

ちなみに「定規強制で被害を受ける子」には所謂グレーゾーンと言われてたり、発達障害と言われている子達が多く該当する。彼らは、得意なことと苦手なことの凸凹が激しく、苦手なことの影響を多大に受けるからだ。

これは私が特別支援コーディネーターで、学級のグレーゾーンの子を観察する機会が多い特から気づけたことかもしれない。もし、小学校教員の方で、自分のクラスで筆算での定規使用を推奨したり強制したりしているならば、一度自分のクラスの「苦手な子」の計算の様子を観察することをおすすめする。

 

「定規強制」は誰も得しないシステム。

まとめると、「筆算での定規強制」はできる子には大したメリットはないし、できない子にはめちゃくちゃ負担をかける、という地獄みたいなシステムだと私は主張する。年収低い人にダメージがでかい消費税増税に似てるな、と思ったけどまぁうまい例ではないので流してほしい。まぁ言いたいことは、「いますぐやめるべき」システムだということ。

 

「見やすいように書く」ことが意味のないことではない。

「他人に見てもらう」前提のものを見やすく書く、という指導は必要だと思っている。自分がなにか素晴らしいことを考えていても相手に伝えられなければ意味はないからだ。

私がいいたいのは、算数で筆算をする目的は「他者に伝える」ことだろうか?「筆算をきれいに書く」ことがそんなに重要か?ということである。指導する側は、「定規によってきれいに書かせる」ことを一律に指導することで、「算数嫌い」を量産してしまってはいないだろうか。もしそうならそれは本末転倒だ。「きれいに書かせる」練習については、それが重要な場面(ポスター作成や作文など)でそれを指導すればよいのではいい。

 

なんのために?もう一度考えて。そして子供に伝えて。

もしあなたが教員で「定規強制」をしてしまっているなら、それによって「子どもたちは何が得られるのか」「何か不利益になることはないのか?」をもう一度考えてほしい。

もし、考えた上でも(私としては残念であるが)算数の「定規強制」が必要なことだと思うなら、そのメリットをせめて子供や親御さんに伝えてほしい。理由があれば少しは納得ができ、理不尽だと思わなくなるかもしれないから。

 

微力ながら救えた子供もいる。

少し余談だが、以前、私のところに通級指導にきている発達障害の子が「算数嫌い」だった。その子に一度、「きれいに計算をしようとしなくていいよ」、「間違っても消しゴムを使わないでもいいよ」「筆算に定規なんかいらないよ」など、計算以外の余計な操作を排除するように指導し続けたところ、あるときから算数の成績が向上し、それに伴い学習意欲が伸びてきた。

その子の両親にも家庭でも同様の指導をするよう示唆したところ「家では算数でも『きれいに書きなよ』という声かけを今まではしていた。確かにそういう声掛けをしたらいつも意欲がガクッと下がっていた。でも、学校ではきれいに書かないとバツになると思って、家でもきれいに書かせようと指導していた。」という言葉をいただいた。学校の「きれいに書きなさい」という指導が子供や家族を苦しめていた例だ。1事例ではあるが、まとめの代わりに紹介しておくこととする。。