グレ教員の日々の感想

学校嫌いな小学校支援学級教員。日々の思いを忘れないように書くブログ。子育て、学校、読んだ本とか。専門は発達障害支援。

【自分語り】部活教員だった父親が家族サービスで大スベリしたことを思い出したので書く。

私は現在小学校の特別支援学級で働いている。前勤務校は特別支援学校で勤務していたが、人事異動で打診され、小学校に異動してきた。異動の打診があったときは、「小学校」「中学校」の選択肢があったが、中学校は強く拒否をした。「部活をもつ」可能性があったからだ。今後も「部活の可能性がある」学校には異動希望は出さないと決めている。

 

正直すっかり忘れて居たのだけれど、何故かふと、部活教員だった父親が家族サービスで大スベリしたことを思い出したので、自分語りの自己満足な文になることが確定していることも承知しながら、なんとなく思考の整理のために書いている。

 

 

今からだいたい20年くらい前の話。私の父親も今の私と同じ教員だった。

今私と違うのは中学校教員であること。父親は私が中学校に上がる頃には、管理職になっていたから、部活指導も学校運営も(おそらく)熱心にやっていたのだろう、と今だからこそ推測できる。私の幼少期の記憶の父は、とりあえず毎日忙しそうにしていたな、ということしかない。

父はほとんどの土曜日、日曜日の昼間は仕事に行っていた。今思えば、「部活指導」や「平日の準備」などをしていたのだろう。

私は下に二人の兄弟がいるが、土曜日・日曜日の日中に家族みんなで遊びにいった、みたいな記憶はあまりない。ただ、土曜の夜は割と豪勢な外食をしていた。私達兄弟の中では「父親はご飯を一緒に食べる人」という認識だったと思う。

 

私達兄弟にとって小さい頃からそれが当たり前だったから、「父と遊びたい」という感覚は思ったことはほとんどなかったし、「父は昼間にいないもん」と認識していた。そんなんで私達兄弟の中では、「土曜日日曜日は、近所の友だちと遊ぶ日」になっていた。

 

そんな中、私が小6の頃、金曜の夜に父親が突然「明日は家族全員で遊びに行くぞ」と言いだし、めちゃくちゃ親に対する冷めた気持ちを確認したのだけは覚えている。そのときの気持ちは「別に行きたくない」「友達と遊べなくなる」と思ったと思う。

遊びに行った先は、確か車で少し遠出して行くような観光地だった気がするが、どこに行ったか今でも思い出せない。ただ「楽しくなかった」ことだけは覚えている。おそらく私だけでなく下の兄弟も同じ気持ちだったのだろう。遊びにいった先で母親が見せた「たまには父親に付き合ってあげなよ」という子供を諭すような表情を見せていた。

 

私達兄弟は、別に父親が嫌いだったわけではないと思う。土日の夕食はだいたい一緒に食べていたし、それなりに学校の話などもしていた気もする。が、休みの日に父親がいない生活が普通になりすぎて、「父親と一緒に遊びたい」と思わなくなっていたのだろう。ただそれだけの話だと思う。当時の父親が家族での遊びを計画したのが、「子どもたちと久々に遊びたい」と思ったのか「家族が喜ぶ」と思ったのかはわからない。遊びに行く日程も多忙な父親なりにどうにか都合をつけたのだろう。だが、当時の私達子供達の目には空回りしている父親がただそこにうつっていただけだった。

 

その後私が中学に進学し、私自身が土日部活に明け暮れたのもあってか、その後家族全員で遊びにいった記憶はこれ以降ない。

 

 

私が中学校から高校になるまで、父親は管理職や教育行政などの職を担い、地元の教育活動に尽力していた。教員界隈でいう「出世コース」だ。それに伴い、父親が家にいる時間はさらに少なくなっていた(特に教頭をやっている頃はほとんど家にいなかった)。

奇しくも同じ業種についている今であれば、土日や家族との時間を犠牲にしないと職責を果たせなかったのかもしれないと想像はできる。きっと今の私が努力しても、父と同じ成果を挙げることはできないであろう。そういった意味では父親のことを同じ教員として尊敬している部分もあるのかもしれない。ただ、父のように生きたいとは全く思っていない。

 

 

部活を仕方なくもっている先生は心から気の毒に思うが、今後も私は部活をもつ気はない。

 

大学生時代、発達障害に興味をもち勉強し、これを活かせる仕事、ということで特別支援学校の教員になった。が、専門を活かせる、という理由もさることながら、「部活がない」と知っていたのが、特別支援学校教諭の採用試験に応募した私の中での要素だったと思う。もし、特別支援学校でも中学校と同じように土日の部活があったなら応募していなかったと思う。

教員になった当初こそ、要領の悪さから、休日も仕事をすることが多かったが、今ではなるべくしないようにしているし、平日も妻と家事を分担しながらしてなんとか子供と接することができている。

 

息子が生まれて3年になるが、家族との時間がもてないことに対して年々危機感が強くなっている。おそらく今後ずっと、家族とふれあい続けなければ、ただ自分が家族にとって「必要のない」存在になるだけなのだろう。その状態になってしまっては、そこから家族に入っていくのはほぼ不可能だろう。20年前空回りした父親のように。

 

子供はいずれは親離れする。父親の多忙さとは関係なくあのときの私達兄弟が早めに親離れしていただけなのかもしれない。私の息子もいつかは私の手を離れるとわかっているが、だからこそ、家族との時間を私の人生の中で大事にしたい。