グレ教員の日々の感想

学校嫌いな小学校支援学級教員。日々の思いを忘れないように書くブログ。子育て、学校、読んだ本とか。専門は発達障害支援。

個人用PCをMacbookかSurfaceかで迷っている話

個人用ノートパソコンを変えたい。

今はMacbookAir(2012)を使ってます。今年はMacbookAir(2019)が出ているので何世代前だよ。。。

 

日常使い自体は全然行けるんだけど、容量がパンパンなのと、物理的に満身創痍感がでてきたので、正直代えたい。

 

が、うーん、どうしよ、何買お、って感じ。

 

今使ってるノートPC

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結構細かな傷が。キーボードと画面の接続部も割れてたり。一応リンゴが光るモデル。

 

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ディスプレイはマジ汚い。一度、拭いちゃいけないアルコールかなんかで拭いてしまって致命的になった。ちなみに画面が点いていればまったく気にならないが、スリープ画面を見られると恥ずかしい。

 

バッテリーはかなり弱っていて、フル充電から2時間半くらいブラウジングやテキスト打ちすると10%以下になる。(現状外出時に3時間以上PCを稼働することはほぼないので気にならない)

PCの条件

これまでの用途としては、

①プライベートでのテキスト打ち(ブログとか)ブラウジング

②学校業務(OFFICE)を職場外で行う(いわゆる風呂敷残業)。

③動画編集や音楽編集(公私どちらも)。

 

上記すべてを気軽にできるってことでMacbookAirは私にビッタシハマっていました。

①~③の順で頻度が多かったんですが、今年度から勤務した学校では②が多くなってきました。

 

③は頻度が少ないものの、imovieGaregeBandが使いやすくてデフォルトで入っていたので、私が必要とするくらいの編集は難なくこなせたのがMacbookAirの強み。

 

仕事との互換性・・・(泣)

これまでは気になっていなかったんですが、今年度職場が変わって②学校業務が増えてくるとやっぱりOfficeの互換性が気になる。

今はOffice for Macを使っているけど、Macで作ったエクセルやパワポを職場のWindowsで開くとレイアウトやフォントを微妙に直さなきゃいけないことが発生するので二度手間だったりします。

持ち帰り残業がなければ環境と個人の嗜好的にMac1択なんですが。

 

ということで、いよいよWindowsもアリかな~と。以前Windowsをプライベートで使っていた頃は、OSVistaだった記憶をしていますので、もし購入となれば超絶久しぶり。

 

 

気になっているのはやっぱりSurfaceProでしょうか。コンパクトさとパワーを考えるとこれまでと同じような使い方ができ、学校業務との互換性も当然OK

 

今使ってるマシンより、少しだけスペックがいいものを買うつもりで見積もりをしてみる。

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た、高ぇ・・・。

 




 

 

MacbookAirの新型を買うっていう手もある。

利点としてはこれまでと操作感がほとんど変わらず使えるってことでストレスがないこと。

Airdropとか便利ですよね。

SurfaceProと比べると安い。が、これだと学校の仕事との互換性の悩みが以前解決されず。あとは地味に純正メモ帳とか。Evernoteに完全移行してもいいんだけど、起動と同期の速さとか、純正メモ強いからなー。

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iPadiMacを別で持っているので一台くらいwindows持っててもいいなー、とも思う。

 

どちらにしろ急ににパッと出せる金額じゃないのでこの先1年くらいの自分の支出を制限する覚悟が必要。

どうしよ。

 

ちなみに個人用PCMacの先生ってほとんど会ったことないんだけど、どんくらいいらっしゃるのかな・・・。持ち帰り残業がある(ことが多い)教員にはMacは合わないですよね。

 

うーん、悩む。

仕事の利便を取るか、個人の嗜好を取るか。

自分の頭で考えようー知識にだまされない思考の技術を読んだ感想

 

自分のアタマで考えよう――知識にだまされない思考の技術

自分のアタマで考えよう――知識にだまされない思考の技術

 

 

本の概要

ブロガー「ちきりん」さんの著書

ちきりんさんが日々どのように「考えて」いるかを書いた本。

思考テクニックやプロセスが、実際にデータ分析をする形で書かれているので、読者もちきりんさんと一緒に分析をしなふがら深めるようになっている。

2012年発行で、結構古いですが。kindle版で購入

 

本の感想

気になった点を抜き出してコメントします。若干原文と表記が変わっているものも

 

「知識」と「思考」を分けて考える。

これを改めて言われると全くできていないことに気づきました。

日々、教育や社会、経済など人並みに思考、しているつもりでいましたが、それらはあくまで「知識」として知ったものであって、「自分のアタマで考え」たものではなかったです。

特に教育関係の問題に対する分析は、有名な実戦家やブロガーのお言葉を鵜呑みにして自分の意見として人様に発信していることが多いような気がします。

この点については自身で意識していないと、気づかないうちに思考停止に陥るのでしょう。序章に書かれていた内容ですが、それに気づけただけでもこの本を読んでよかったです。

 

「意思決定プロセスは情報収集の前に考える」

洋服1着買うのにも、何かしらの判断基準がある(価格・デザインetc..)。それらを事前に決めておいてから、情報収集や分析を行うと無駄がない、ってことですね。

たしかに、学校でも「運動会について話し合おう」みたいな会議はときどきありますが「何を基準にして決めるか」を会議前に明らかにして会議に入ることで、時間を短縮することができるかもしれませんね。

 

プライベートでは、私は本を衝動買いすることが多いので、本屋で本を選ぶプロセスとかも決めてから本屋に入るといいのかな・・・。

「情報」を集め、結論としてアウトプットするのが思考!

できてない!しなきゃ!していこう!

ブログやTwitterはそうやって使わなきゃね。

 

「数字を見たら、「なぜ?」「だからなんなの?」」

「なぜ」原因はなにか?

「だからなんなの?」このあとどうなるの?

 

「判断基準はシンプルに!婚活女子を見習って」

婚活女子は「結婚して幸せになる」というはっきりした「目標の姿」を持つがゆえに、判断基準を「経済力」と「相性」の2つに絞り、相手を判断するそうです。

さらに、「どちらかがかけていた場合」、「経済力」>「相性」を優先するそうです。これには合理的な理由があって、「相性」は自分の努力でなんとかできる(歩み寄れる)可能性があるから、だそうです。

これくらい単純化できると確かに判断できない!ってことはなくなりそうですね。ポイントは評価軸を2本に絞るってことでしょうか。

 

「知識は「思考の棚」に整理しよう」

知識を丸覚えするってことではなく、「思考」してから頭の中に。

「頭の回転が早い」人って実は、「知識が入る前に事前に考えておく」ことを実践しているらしいです。だから新しいことを聞いたときにすぐ、「つまり、〇〇ってことですよね」と言える。「こういう知識が入ったら、こう考える」ってことを事前に考え終わっておくってことですね。うわ。難しい・・・。

でもできたらかっこいいですよね。少しずつチャレンジします。

 

まとめ

結局インプットいっぱい入れてもアウトプットできなきゃ意味ないですからね。

アウトプットがよりスムーズにできるようになりたい。この本が一つの材料になるのではないでしょうか。

小学校教師が「水分補給許可制」の謎ルールの意義を考察してみる

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本記事の概要

最近、インターネットやテレビでも学校のいわゆる「謎ルール」「謎校則」に疑問を投げかける意見が多く見られるようになった。

 

しかし「ルール・校則の意義」は学校側の説明は一般にはあまりされない(保護者・児童にはしている?)。

私は4月から小学校で働きはじめ、4ヶ月が経った。正直理解に苦しむ「謎ルール」も確かに多くあるが、そのうちいくつかは「学校視点」になったことで、少し意義がわかったものもある。

そのうち本記事では、謎ルールのひとつ「水分補給制限」について考察する。

 

「謎ルール」にも一応の意義はある。

しかし、それ自体はやはり不完全さを内包している。

不完全さが解消されない要因には、「学校と社会の関わりの難しさ」がある気がしている。

※本記事では私の勤務校の慣例に倣い、「校則」という文言は使用せず「ルール」という言葉で代替している。

 

「水分補給許可制」についての批判

 

本記事を書こうと思ったきっかけになった、ある日の私のTLで目を引いたTwitter上の投稿です。多くのリツイートやふぁぼをもらっており、リプ欄には水分補給に関連する学校の謎ルールへの批判がぶらさがっていました。

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一部だけ載せましたが、リプ欄では、命に関わることだけに、かなり辛辣なご意見が並んでいました。載せていませんが「戦前教育のままだ」のようなご意見もありました。

 

 

大人視点だと「謎」は深まるばかり

ここ数年、夏は異常な暑さですよね。そんな中で連日、学校活動中の熱中症の報道がされていましたね。熱中症寸前まで練習をしたり、学校側の水分補給配慮の不十分な指導が指摘されています。

そんな中、「水分補給に制限がある」なんて聞いたら、大人は「なんでこんなルールあんのww」って思うのは当然の感覚ですよね。

 

しかし、私が多くの学校のルールに対する批判を見ていて、と思うのは、

①「子どもは大人とは違う」

②「学校は不特定多数を一斉に見なければならない場所である」

という視点がない(まあ当然なんですけどね)ことが「学校意味不明すぎワロスww」になる要因かと思っています。

 

詳しく言うと、、、

①について。

子どもは未熟です。子どもと大人では「節度(ちょうどよいところ)がわからない」「集中・注意がすぐそれる」点において大きく違います。当たり前なんですが、節度もマナーも注意力(集中力)も発達しきった大人の感覚で議論してしまうと、「社会の常識とかけ離れてる!」「子どもがかわいそうだ!」になりがちです。

 

②について。

後でも少し触れますが、「小学生の行動を管理する」ことを学校に求め続けると、最終的には学校は「やっていいよ」「やっちゃだめ」の2パターンの画一的なきまりごとでしか決められなくなります。

「ケースバイケース」「状況による」が含まれるルールを一斉指導で小学生全員に理解させるのは難しいからです。理想論を言えば、一人ひとりに話して「この時はこうだね」「こういう場合はいつもとは違うね」と話してあげられれれば一番いいのですが、学校という場では、時間的にも人員的にも現状できません。なにしろ大人の数の30倍くらい子どもがいるのですから。こういったわけで「一律の」「制限が強い」ルールが発行されるのだと思います。

 

当然だが学校で熱中症になるのはNG

前提として、学校での活動中に児童生徒が熱中症になった場合、学校に全責任があることは誤解なきように申し上げておきます。それは人様の子どもの命を預かる側として当然です。熱中症の児童生徒が出ないように、健康観察や水分補給、冷房の管理など学校側は事前にできることはすべてやるべきです。

登下校中が学校の管轄範囲内かは少し曖昧ですが、登下校中のルールを学校側が呈示している以上、一定の責任を負うべきだとは思います。

 

「水分補給制限」の意義について考える

それをふまえて、小学生に「謎ルール」の「水分補給の許可制」。今日は3つのパターンのルールについて「そのルールが何に役立ってるのか」を考察していきましょう。

 

「謎ルール1.授業中の水飲み禁止」

 

ルールの意義 :授業に集中してもらう環境づくりの一環。

留意点    :緊急に水分を欲している子どもに我慢を強いる形になる

 

仮に授業中、自由に水飲みOKだとしましょう。もし大人であれば、授業に支障のない範囲で、周りの受講者の迷惑にならないように飲むことができるでしょう。

しかし、子どもは違います。音を立てたり、こぼしたりもするでしょう。また、大人と違い、授業を聞きながら飲む、なんて高度なことはできない子も多くいます。飲むことに必死になり大事な指示を聞き逃すかもしれません。また、集中が苦手な子には、水を飲むことに注意がもっていかれて、何度も離席を繰り返す児童も出てくるかもしれません。

水筒を手元に置いてはいけない」のもおそらくこれが大きな理由で、小学生ってめちゃくちゃ物落とすんですよ。マジかよ、ってくらい。鉛筆や消しゴムなど、これは日々一緒にいないとわからないと思いますが、これも大人の感覚で考えてはいけません。低学年の教室で水筒を手元足元ににおいたら教室のあちこちでガシャンガシャン音となり集中できないでしょう。なので、多くの教室では水筒は所定の位置があると思います。

 

それでも熱中症がこれだけ深刻さを増している中、水分補給については担任の先生は常に意識し、配慮する必要があります。私の学校では、申告すれば授業中でも水を飲んでもOKにしているクラスがあります。手元に水筒をおいて授業をしているクラスは見たことありませんが、Twitterの教員アカウントの中にOKにしている先生もいらっしゃいました。(それでも高学年くらいにならないと難しいと思いますが)。いずれにしても休み時間には声をかけて全員が水分をとるようにしておくのは必須ですね。

 

ちなみに私のクラスは許可なし水飲みOKです。特別支援学級の担任で、小人数指導なこともあり目が行き届くからですね。まぁ本校はエアコン完備なこともあり、多くの場合45分は飲まなくてもやっていけているようですが。

 

人が話しているときに飲むのは失礼だから」と子どもに教えている先生も多いようですが、私自身は適切ではないと思っています「人が話しているときに水を飲むと失礼になる」かどうかは「時と場合に寄る」からです。「自分が必死で話しているときに、聞いている側が水を飲むのが嫌な人もいる」ことや「のどが渇いていても我慢しなければならないときもある」くらいは教える必要があるかもしれませんがね。

 

 

「謎ルール2.登下校中の水飲み禁止」

 

ルールの意義 :地域の人からのクレーム対策

留意点    :帰り道での命の危険

 

このルールについてですが、私の勤務校では登下校中の水飲みを禁止してはいないので、あくまで私の想像です。

おそらく、近隣の店舗や民家の方からの苦情があったのがこのルールが発行に至った発端なのではないでしょうか。

と、いうのも登下校中の小学生(ランドセルを背負った子ども)の行動によって、近隣の人に何らかの迷惑をかけた場合、須らく「学校に苦情が来る」んですよ。

 

水飲みの苦情を想像するとこんな感じでしょうか。

おたくの小学生がうちの前でたむろして水を飲んでいる(なんとかしてくれ)」(想像)

おたくの小学生が水を飲みながらだらだら歩いていて通行の邪魔(なんとかしてくれ)」(想像)

 

こういった苦情の悩ましい点として「対象の児童への個別の指導が不可能」なんですよね。その場にいたわけでもない学校の職員は、なにが不適切だったのかわからず、というか当該児童が誰かもわからず。行き着く先は、一律「登下校中の水分補給全面禁止」です。住民の苦情を意識しているからこそ、こんな理不尽なルールが作られているのでは、と思っています。

 

仮にそうだとしたら、その場で迷惑を被った人が小学生に注意してくれればいいのですが。そうすればそこで完結しますからね。ただ、今の時代、子どもに注意ができる大人、も少なくなっているのではないでしょうか。だから学校に連日苦情が来るのでしょう。私の勤務校でも、児童の近隣でのお店での態度や登下校中の態度などについて苦情は連日来ていますし、その度指導をしています。しかし、時間のないなか行われるその指導はやはり画一的なものにならざるを得ませんね。(「登下校中、しゃべるの禁止!」ってなりそうで怖いです)

 

と、勝手に「登下校中の水飲み禁止」の意義を考察しましたが。多分に想像が入っているので違うかもしれません。「登下校中」のルールということで近隣の方たちを意識したルールなのは濃厚だと思うのですが、、、私の思いつかない意義が他にあるのかもしれませんね。

 

でも、普通に考えてこの暑さの中、子どもの足で30分くらい歩く子どももいるわけですから。多少の迷惑が発生したとしても水くらいええやろ、って私は思います。これは学校にも近隣の皆様にも理解してほしいところではありますね。

 

 

謎ルール3:「校外学習で移動中の水飲み禁止」

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ルールの意義 :円滑・安全に行程をすすめるためのルールの一つ

留意点    :周りから見たら「小学生理不尽。。。かわいそ。。。」ってなる・

 

これはですねー、なかなか大勢の子どもを連れて出かける体験をしないと理解し難いかもしれません。

大人の感覚だと、「いいじゃん水くらい。そんな迷惑かからんし」って思うでしょう。しかし前述した通り、「小学生はまだ節度について理解が未熟」です。なので、「一般に飲んでは行けない場所」などで知らずに飲んでしまう可能性があります。そして集中力も未熟ですね。もしかしたら車内で飲んで水をこぼすかもしれませんし、飲んでいるときに先生の指示を聞き逃すかもしれません。

校外学習では、見学先など学校以外の人たちも関わりますし、公共交通機関を使う場合は一般のお客さんとの接触も考えられます。そして事故のリスクも校内の活動の何倍も上がります。子どもたちも楽しい行事でテンション上がってますしね。なので、校外学習中は校内よりもルールを「細かく」「厳しく」する場合が多く、教師側もピリピリしていることが多いです。

上のツイートで注意された児童(生徒?)にとって理不尽に感じたかもしれませんし、周りからしたら「水くらいで何を。。。」と思うかもしれません。ただ、上記の内容をふまえて状況を見ると、おそらく「許可されたときだけ水を飲む」といったルールを設定されており、「水を飲んだこと」ではなく「ルールを破ったこと」、について先生は叱責したのではないか、と推測することができます。(その叱責の仕方が適切な指導だったかどうかはまた別の議論です)

 

もちろん、子どもたちが「安全に帰ってくる」ことが大事なので、多くの場合、水分補給の時間等も用意されていると思います。ただ、お子さんによっては水分補給の配慮が不十分な場合もあるのかもしれませんし、それについては引率側は常に確認しながら勧めていかなければなりません。

 

子供たちのためにできることは

さて、3つの「水分補給制限ルール」がもつ意義について考察したところで、思ったことをつらつら。

 

ルールに縛られると自主性・考える力が育たない

この指摘はめちゃめちゃ正論だと思います。学校っていうのは本当にルールが多い。そして、小学生段階だと、「なぜだめなのか」はあまり考えず(考えているかもしれませんが言動には出さずに)、従順にルールを守る子がほとんどです。しかし現代の変化の激しい時代を生きていくためには「自分で考える」力が必要である、そこには私も同意します。

この先、これまでの縛りを少しずつ緩和し、子どもに「自分の判断で行動を選択する」幅を広げていく動きが学校では重要ではないかと思います。

 

学校の緩和できない事情

最近学校のルールに言及する風も感じており、学校内にルールの緩和を提起する声も出始めていると思います。一方で、校内にもありますが、それ以上に地域・保護者からの要請(圧力ともいいましょうか)が障壁になっているケースは多々あります。

宿題を出さなかったら、保護者から苦情が来た事例が報告されたように、下校後の小学生の態度まで管理をするように要請されます。「もしルールを緩和したら、地域・保護者からまた苦情を言われるのでは?」そんな思考が、管理職はじめ学校全体に根深く浸透しているのです。

 

前述したとおり、謎ルールにはそのルールなりの「意義」が必ずあります。「謎ルール」への批判や意見については、そのルールが「社会一般と比べて不自然かどうか」よりも「そのルールがもつ意味を別のもので代替可能か?」の視点がないと、ただの学校への誹謗だけで終わってしまう、内部にいるとそう感じます。そうなると結局何も変わらず、最終的には子供と学校、どちらも苦しんで共倒れです。

 

ルールは場面場面で違うことを教えていきたい

今せめて、一教員、そして1児の父としてできること、それは組織(集団)の数だけルールはある。ということを子どもたちに教えていきたいです。

学校での「謎」ルールは社会人からしたら「謎」でしょう。しかし、そのルールは何かしら理由があって存在しています(すべてのルールが適切なものとは言っていません)。

「学校のルールは、社会一般からしたら謎だし変だよ」だけ言ってしまえばそりゃそうなのです。なぜなら「社会」と「学校」は違う。一番はじめに言った通り、「不特定多数の未熟な人間が集まり、共に成長をしていく場」なのです。成熟した人間が過ごす社会一般とはルールが違って当然です。繰り返しになりますが大事なのは「社会と同じかどうか」ではなく、「なぜそのルールが必要なのか」だと思っています。

学校のルールは多くの場合、「学校という特殊な場だから」必要なルールが多くあります。学校のルールを守ることがすべて「社会でも生きる」とも思っていません。

なので例えば小学生が学校外で、「学校では、先生が許可するまで水飲んじゃいけないルールなんだ(だから飲まない)」と言ったとしたら、「学校ではそうなんだね。ここでは、自分のタイミングで飲んでいいよ」と言ってあげたいです。

この先、私なんかには想像もできないだろう様々な環境で活動することになる子どもたちには、「学校のルールが絶対」ではなく、せめて、その場その場で「ルールは環境によって違う」ことを知ってほしいと思います。

 

厳しいルールはときに誰かを集団から弾く

水飲みとはすこし外れて蛇足です。

私は現在小学校の特別支援学級の担任をしています。数え切れないほどある「学校のルール」のいくつかについて、「ルールを守る」ことが難しいがために特別支援学級に在籍している(本人にとっては、特別支援学級にいることを余儀なくされているといってもいいかも)児童もいます。なかなか全体指導に注力したルール作りをしていると、そういったところは見落とされがちです。そこも忘れないように考えていかなければ、です。

 

教師が一般感覚からズレているのは認める

我々教員は「謎ルール」に囲まれ、ルールを作りながら生活しています。「謎ルールがある生活が当たり前」な中、問題が起きたら「禁止ルールを増やす」「そのルールを守らせる」、ことに指導の方向性が向かいがち否めません。これは学校という組織の病かもしれません。「そのルールの意義は?」「他に方法は?」と常に職員は考えていかなければなりませんね。あとは、子どもたちが社会に出たときに、ギャップを感じにくいようにしてあげたいですよね。

若手の先生たちの中には自分のクラスで「子どもたちに考えさせる」というのを意識してやっている人もいます。「きまりは最小限に」という方法は、理想的かもしれませんが、運営の労力はかなりかかります。けど、今の学校のガチガチな感じは社会の多様なと個性を求める社会の方向性とマッチしていない、と考える先生もいるのかもしれません。

 

まとめ

今日は水分補給の「謎ルール」について、その意義について考えていき、最後はなんかまとまらなくなってしまいました。

「水飲み制限」の意義がないわけではないってことだけ伝われば。

今後もルール作りのあり方は「ルールを作る側」が慎重に考えていかなければいけません。

「教師の働き方を変える時短」を読んだ感想〜これくらいもしていない教師は多いってこと、、、。つまり伸びしろ大!

 

教師の働き方を変える時短

教師の働き方を変える時短

 

 

本の概要

著者は小学校の現職の先生。著者が実践している「学校での時短術」のアイデアを40個、紹介しています。

学校という特殊な現場に特化して書いているため、初めて「時短」を意識したという先生もすぐ使える内容になっているかと思います。

 

本の感想

斬新なアイデアはさほど...

時短系のビジネス書は本屋に行けばいくらでもありますし、「早く帰りたい、仕事を早く終わらせたい」と思ったことがある人なら教員をしている人なら少なからず手にとっているでしょう。ということで、時短系の本をよく読んでいる人ならそこまで大きな発見はないかもしれません。

 

学校に特化した「時短」

とは言っても、これまで我々教師がビジネス書等の「時短」本を読んだ際、自分の職場で実践するために、要素を抜き出して変換する作業が必要でした。学校っていう職場はかなり特殊な場ですからね。それをすっとばして明日から学校でできる技がたくさん書かれているこの本。この世に学校で使える時短技はいくつも存在しているのでしょうが、その多くはこの本で学べるのかも。そういった意味で「時短」をあまり意識していない教員にとってこの本は良書となるでしょう。

 

個人でできないことも書いてあります

この本では、回覧やめましょう、など管理職や委員会レベルでなんとかしなければならないことも書いてあります。回覧については結構ビジネス書でも見ますよね。「スタンプラリーが日本の生産性を落としている」とかね。(スタンプラリーってのは回覧チェックのシステムのこと、「見ましたよ~」っていう意味で書類に印鑑を落としていき、最後の管理職の印鑑がもらえたら決済できる、ってやつ。)

個人レベルではどうにもなりませんが、「アレって意味ないよね」って思っている教員が増えるともしかしたらなにか変わるかもしれないし。「個人でできる時短」と「組織(学校)でできる時短」を頭に入れておくとよいかもしれないですね。

 

心に残ったこと

「そもそも教師としての業務量が膨大なので、優先順位を決めても効率化はしにくいのです」

P.41 原則04仕事に優先順位をつけ「ない」より

ビジネス書だと殆どの場合「優先順位をつけよ」っていうのが多数派なので、おっ、と思いました。最近ではこの考え方も増えてきているようです。

www.lifehacker.jp

半分賛成で半分反対。優先順位をつけるのに時間をかけるのは本末転倒ですが、優先順位をつけ続けていると「やらなくてよい」仕事に気づけることがあるので、優先順位の意識は重要だと思います。

私はいまは仕事を前日のうちに、「「明日中にやる」「それ以降でも良い」ものに分けて日々仕事を行なっています。Todoist というアプリで管理しています。

apps.apple.com

 

Ctrl+Cでコピー、 Ctrl+Vでペースト

P.108 「ショートカットで仕事を倍速に」より

 

マジかよ、って内容ですがこれも40個のアイデアのひとつとして1項目として紹介されています。わかっている人にとっては「学校の先生ヤバww」ってなるかもしれませんが、それほどまで学校というものは「時間をかけずに仕事を行う」ことが意識されてこなかったとも言えるでしょう。個人の体感ですがこのショートカットすら知らない先生、たくさんいると思います。こういう基本的なことを教えてくれるのもこの本の魅力です。

ちなみに私はショートカットはおろか、コピー&ペーストすら知らない先生と組んだことがありますよ。その方は去年と同じ内容の書類が出したくて、去年のデータを開き、紙に印刷し、その紙を見ながら一字一句同じ文章をワープロで打ちこんでいました。

 

まとめ

教員の「時短」本としては秀逸かと。学校に1冊おいてみんなでよんでもいいですね。

 

 

karly1008.hatenablog.com

 

「学校の時間対効果を見直す」を読んだ感想 うちの学校の職員全員読んでほしい

 

学校の時間対効果を見直す! ―エビデンスで効果が上がる16の教育事例

学校の時間対効果を見直す! ―エビデンスで効果が上がる16の教育事例

 

本の概要

 

学校現場では、漫然と「これまでやっていたから・・・」といった理由で続けられているものが多数ある。

「宿題を出す」ことや「授業の終わりに振り返りをする」

これらは、本当に効果があるのか?

また、「ICT」や「協同学習」など、「よさそうだから」など新しい活動もやるかやらないか、という選択も入ってきます。

これらは、本当にやる意義があるのか?

本書では、これらの活動に「時間対効果」エビデンス(科学的根拠)」の2つを軸に教育現場の「その活動はやる意義があるのか」を分析する。

 

読み終えた感想

割と待ってた内容。

学校現場には、「エビデンス」とか「時間対効果(費用対効果)」の感覚が、まったくありません。

なにかを「やる」ことや「やらない」決定をする際に材料となるのが、「これまでやってきたから」と「周りの学校もやってるから」といった思考停止が横行しています。

 

そして、ビジネス書ではこの手の話、結構あったと思うんですけど、教育書ではかなり珍しいのではないでしょうか。いろんな人に読んでほしい内容になるかと思います。

 

エビデンス」について

経験則ですが、科学的思考に基づいて物事を判断する意識をもっている学校職員が少ないのが、現場にあたっているのが現状かと思っています。大学で研究活動をやっていた人が少ないのも一端かな~、と思っていますが。(教育学部では研究をしない、論文を書かないところも多いですよね)

その中で、社会全体でも「エビデンス」という言葉が聞かれるようになり、教育書(教員向けの本)にもでてくるようになったか~、と思いました。嬉しい限りですね。効果量(effect size)という言葉を教師向けの本で見る日が来るとは思いませんでした。

 

「時間対効果」について

上記のエビデンスから「期待できる子どもの学習効果」について「コスト(教師の労力やお金、時間)がどれだけかかるか」を考え、実際にやるかどうか議論する材料にすべしと本書では示唆しています。

 

これまで「学習効果」について論じた教育書や研究では、最終的には学校現場での実践を提案するわけですが、けど、それらの多くは「それを実施するコスト」を無視して提案されているものがほとんどでした不十分なもの(と私が感じた)がほとんどでした。

 

しかし、実際の現場では、ほんとに数え切れないほどの学習活動や行事が動いており、「ひとつの活動に避ける時間や労力(と予算)」が有限なのです。なので、「時間対効果」を学校に入れようとするこの本の主旨はとてつもなく意義のあるものだと思います。というか学習効果の議論するのにコストの概念は必須だと思うのですが、なぜだかあまり議論されてきませんでした。

 

学校での働き方改革が進んだから出た本?

この「時間対効果」のある仕事を~!ってビジネス書や自己啓発本の定番というか前提となる考え方ですよね。

これまで、教育会で「時間対効果」が全く議論されなていないのは、「これまで教員という「労力」が無限に調達できた。」からだと私は思っています。教員には残業代がつかず(給特法)、教員に「終わるまでやれ」と命じれば、命じられた教員は「深夜11時まで残ろうが、土日に出勤しようが」、終わるまでやっていたのです。つまり、コストがかからなかったのです。(実際はこれまでも、教員が疲弊したり授業準備の時間が削られたりと、見えないコストはかかっていたはずですが)。

ちなみに給特法については、内田先生の著書が詳しいです。以下は私の内田先生の著書のレビュー

 

karly1008.hatenablog.com

 

しかし、教育現場にも「働き方改革」が持ち込まれたことで、学校現場は「何を残し、何を削るべきか」の議論を余儀なくされているのです。その中で「時間対効果」の考え方は少なからず、各学校現場単位では出ていたのではないかと推測します。

それらのひとつの道しるべとなるこの本はとても価値のある著書だと思います。

 

問題を解決する本ではないです。

ビジネス書に近い。「問題が起きたらこうやって考えるといいよ」って考え方を提案しているだけの本です。事例に対して明確な回答(こうすればよい)が示されている事例のほうが少ないので、基本はこの本の考え方を基に自分で考えて、探索して解決法を考えなければいけません。

というのも当たり前の話で、ひとくちに学校と言っても実態は本当に多種多様であり、抱える問題も一緒ではないですからね。例えば「宿題を出すべきか出さないべきか」の事例でも、まとめの項ではなんだか煮え切らない言い方になっているように感じます。これはある意味当然で、宿題の意義が学校によって全く違うものになってくるからです。ただ、宿題の学習効果自体は小さいものである(やらないよりはやったほうがある)という科学的根拠が前提ですけどね。

 

また、本書のエビデンス」の軸は「子どもに学習効果があるか」になっているため、「指導案がいるべきかいらないべきか」など、現在のエビデンスからは結論を出せないものも多々ありました。教育分野の研究って最終的には子どもの学習効果に帰結しますからね。業務の事務処理の効果などはかなり議論が難しいとは思います。(ただ、時間対効果の考え方は必要なことです。)

 

大事なのはその考え方「何かエビデンスはあるか?」「それにかかる労力と期待できる効果はどれくらいか?」この感覚をもってやる教員が増えることを、一教員としては思います。

 

心に残った部分

 

「基本的には、宿題をする児童・生徒ほど高い学力であること、宿題の量よりも学習方法や保護者の関与のほうが学力に与える影響が大きいことがわかりました。」

P.53「テーマ4 意見真っ二つ!? 宿題は学力向上を促すか?」より

 

宿題のエビデンスを示した事例です。このエビデンスをもとに「宿題は出すべき」っていう人と「出さなくてよい」っていう人どっちもいそうですね。

ちなみに私は「意味のある宿題になるように出す」ほうがよいのでは、と思っています。学校の宿題でありがちな「ノートに1ページ漢字書き取り」や「何回音読」っていうのは「作業化」して効果が薄くなるので辞めたほうがいいと思っています。

ただ、学校というのは横のつながり(同学年の違う学級)がすごく大事なので、そこはしっかり話し合って決める必要があるとは思っています。

 

 

「単にICT機器を導入したからといって児童・生徒の学力が大きく向上するとは言い切れません」

P.64「テーマ6 増えてきたICT機器の「時間対効果」はいかに?」より

 

ICT機器はツールですからね。その勉強の目的に合わせ、「これまでの方法よりもICTを使ったほうが効率がいい」ってものから導入しないとね。

あと、多くの公立学校で問題になるのがICT機器少なすぎ問題ね。タブレットが全学で5台とかね。本当に全校生徒にわたすことができたらいろいろとできること想像は膨らむんですけど。知り合いのお子さんが通う私立小学校では、一人1台iPadが支給され、宿題や課題はタブレットを介して配布・提出するそうです。そこまで本気で取り組めたら時間対効果も高くなりそうですよね。

 

まとめ

結構読みやすくすぐ読める。エビデンスとか費用対効果とか考えたことのない同僚や先輩教員の机に置いてみては?(笑)

「整理が苦手教員」がEVERNOTEを使ったら結構解決した話

はじめに

私が学校で EVERNOTEとSCANNABLEを使い始めて2年ほど経ちました。

今の職場でもそうなのですが、文書・連絡の扱いが紙ベース(というか古い)学校という現場において、「整理整頓が超絶苦手教員」の私は大変辛い思いをしていました。

そこで、EVERNOTEを自分の業務に取り入れてみたらかなり業務の効率が改善しました。今日はそんな話。

 

1.EVERNOTEの概要

 

Evernote

Evernote

 言わずと知れた、クラウドにノートを保存しておけるやつ。

ノートに保存できるコンテンツの種類が幅広いのがありがたい。

 

Evernote Scannable

Evernote Scannable

 紙をスキャンしてPDF化しておける。最初スキャンしたときは精度高くでびっくりした。

 

2.整理が苦手な教員はこうなる

 

さて、学校という職場は扱う紙の種類(枚数)がめちゃくちゃ多い。そしてそれが雑に扱われるので、私のような整理苦手勢には辛い。

たとえば、ある日の1日、私の机に置かれた(個人のレターボックスに入れられる)紙の種類。

 

 

保護者宛文書のコピー1枚(担任参照用。とりあえずもっておけば良いが、使うことはほとんどない)

発行前の学年だより1枚(誤字脱字等をチェックして学年主任に渡す)

教員用行事後反省アンケート1枚(記入して担当のせんせいにわたす)

勤務に関わる書類2枚ホチキス留め(1枚は記入して管理職に報告。もう1枚は自分で保管。内容はすぐ参照できるようにしておく)

同じ学年の若手先生の研究授業の指導案6枚ホチキス留め(授業前に目を通しておき、当日の授業の時間に持っていく)

 

いつもではないですがこんな感じ。夕方、教室から職員室に戻ってくると、机上にはなんらかのプリントが置かれていることがほとんどです。

 

整理が得意な人なら、(あるいは学校業務に慣れた人なら)捨てるものととっておくもの(すぐ取り出せるようにしておく)こともできるのかもしれないが、わたしは昔からどうにも苦手で、「書類をどこにしまったのかわからなくなる」(捨ててはいないことだけは自分でもわかるが、すぐに取り出せない)ことがEVERNOTEを使うまでは非常に多くあり、これが業務の効率をさげていたような気がします。

 

私が現在勤めているような職員80名越えの学校なんかだと、要録の処理の仕方や、日直のやり方など、の連絡などはほとんどプリントを配布することで済まされることがほとんどなのです。

配布されてしばらくした頃に、その内容が必要になっても、探せなくて困る、みたいなこともありがちでした。

 

3.学校でのEVERNOTE

 

そこで私はSCANNABLE で配布プリントをスキャンしてその場で捨てるということをやりはじめました。文書をスキャンして精製したファイル名は後からキーワードで検索がしやすいものにしておきます。これによってとっておく必要がなくなります。よって手元に残るのは、何らかの提出が必要なもの(紙のままおいておくべきもの)だけになります。(子供の個人情報などの書類は、決まった場所が学校にあるはずです)

 

 電子化(EVERNOTE)のメリット

机上がきれいになる。

文書をとりあえず所持しておく、ということをしなくてよくなり机上がきれいになった。以前はフラットファイルに綴じるようにしていたが、年度末にはフラットファイルが3~4冊になってしまうし、シュレッダー年度末にしなくてもすみ手間が分散された。

一度配布された文書を探すのが圧倒的に楽に。

「前に配った資料に書いたから確認しといて」みたいなことを言われた時にキーワードを入れることですぐに端末で参照できるので、紙の山から探す、みたいなことがなくなった。

指導案とかも入れておけば、授業の当日もタブレット1つもっていけば済むし、授業を見ながら、昨年度やその前の指導案なども引っ張ってきて、その場で比較、みたいなこともできて学びにおいても効果的になった。

職員室以外でも見られる

クラウドに保管されているため自分の机にいかなくてもすぐに参照できる。子どもがもってきた連絡帳にに「昨日配布されたプリントなんですけど」なんて質問があったときもその場で確認ができます。個人用のタブレットなどがあると捗ると思います。(スマホでも見られますが、小学校でスマホを先生が出しているのを快く思わない児童や保護者多いので・・・)

 

デメリット

スキャンが手間

一枚一枚やらなきゃなので手間は手間です。スキャン→検索しやすいようにファイル名付け、保存1枚30秒くらいはかかるかな?このファイル名づけが地味に面倒ですが、のちの検索のことを考えるとサボれないところです。

あと、シャッター音がなるので職員室ではしづらいです。私は放課後、誰もいない教室で1日の終わりに一気にやっちゃうことが多いです。

EVERNOTEの動作が遅い。

これはある程度しょうがないと思うんですが、EVERNOTEの検索ってやや遅い気がするんですよね。

すぐ出したい時の「すぐ」が紙で保管している「整理の上手な先生」に負けていることもあります。でも結果的には検索ができているので私としてはいいんですけど、隣の先生に「所詮機械なんて・・・」って言われることもあります。いいんです。自分に合っている方法を使っているだけなので。

 

ページ数が多い資料は大変。スキャナー欲しい。

 

 ページ数の多いものは学校のスキャナーでやっちゃいます。共有のものなのと、枚数が少ないとSCANNNABLEの方が早いのでたまに。

 

重要書類はできない。

さすがに個人情報や重要書類に関しては使うのを控えています。

 

本来はデータ配布してほしい。

ここまで読んで「ん?」って思う人もいるかもなんですが、私がやっていること、実は2度手間な場合、とても多くあります。書類のデータをPDFでもなんでも、職員の端末に送ってもらえればすむ話なんですこれ。私が今やっていることって

①作成者がPCで作成→ ②作成者が紙に印刷して配布 →③私が紙をスキャンしてデータに直す→ ④私が端末で見る

ということなので②③いらないやん、ってことなんですよね。

でも、学校や役所ってそういうところで、まだまだ変わりそうもありません。市の教育委員会からの通知もすべていまだにFAX(!)で来ますからね。それをコピーして我々に配られると。

 

一度、雑談してる中で、書類とかも電子化してほしいですよね~、って言ったことがあるんですが、「紙に刷られないと見ない」って言われたことがあります。いや、仕事なのでそうなったらちゃんと見ると思うんですけどね。紙じゃないとダメな人は自分で印刷すればいいじゃないですか。作成者が印刷する手間もなくなるし、資源的にもいいと思うんですけど。それとも紙で配布って当たり前?民間の会社さんではどんな感じなんでしょうか。

 

 まとめ

こういうのって組織一気にやると効率性ってグッと上がると思うんですけど、まぁそんなこといってもしょうがないので個人でできる効率化、チマチマと進めています。私的にはEVERNOTEが私の業務の効率化に寄与している部分は大きいですね。

書類の電子化以外でもEVERNOTE結構業務に使える部分多いですし、他のアプリ、個人的に使っています。

便利な世の中なのに、先生方、もっと使えばいいのにな〜。と思う今日この頃でした。

なんだかんだ教員は上級国民か? 「上級国民/下級国民」を読んだ感想

 

1冊読み終えたので感想まとめ

 

 

本の概要

個々最近ネットで飛び交う「上級国民」「下級国民」という言葉。(例:池袋の事故を起こした男性が逮捕されないのも、マスコミが”さん”づけで報道しているのも『上級国民』だからに違いない。」※実際は違うけど。)

この「上級/下級国民」という概念はこれまでの「エリート」「セレブ」とは異なり、階級間を努力や行動で移動できるものではなく、個人の努力ではどうにもならない構造である、ということを著者は指摘している。

本書では3つのパートで上級/下級国民について分析している。

 

本の感想

結論から言うと、気持ちは暗くなる本。最後の結論まで、「〇〇すればまだ間に合う」「これから〇〇すれば大丈夫」みたいな希望はほとんどなく進んでいくので、最後まで明るくはならない本です。ま、タイトルからしてわかるやろ、って感じですけど。

ただ、結論はともかく現代社会の構造をいろいろなデータから分析しているところはおもしろい。こういうのが社会学の本を読む楽しさだと思うし、個人的にそういう本を多くつい手にとってしまいがです。

 

章ごとに気になったところ

PART1

平成の労働市場によって下級国民が生み出された経緯などを分析しています。そして令和がどうなっていくのか。

平成中期まで「働き方改革」がほとんど進まず、ここ最近(平成末期)に「働き方改革」社会全体的に急速に進んでいった理由、を「団塊の世代の引退」が大きな要因と結論づけた視点がおもしろかった。つまり、「団塊の世代の既得権を害する改革は、『団塊の世代』によって阻まれていた。『団塊の世代』が定年しいなくなることで、やっと「改革」に手をつけることが可能になった」ってことですね。しかしこれは同時に「社会保障の「改革」は「団塊の世代」に阻まれおそらく不可能になるだろう」ということも著者は示唆しています。

 

その他気になったフレーズなど

最低賃金の引き上げは若者の雇用には悪影響”

 

PART2

上級/下級国民について「モテ/非モテ」にもつながることを論じています。

自由恋愛が約束された社会においては、下級国民(特に男性)は、社会的地位や財力がをもたないものは「生涯未婚」の「非モテ」になり、社会的地位や経済力を持てる男性は生涯に複数回結婚ができる「モテ」になる。その2極化が世界各地で起きてくる。非モテテロリズムにつながる例も紹介しています。

 

その他気になったフレーズなど

“一定の年齢をすぎると「男同士の絆」はほどけ、男は「友達」をつくれなくなるのです。”

 

PART3

世界全体でも「上級/下級」の分断が起きていることをアメリカのトランプ大統領の支持者などの例から、論じています。先進国各地で共通することは「マジョリティの分断」なんですね。

この章は前提知識が少なすぎてイマイチ頭に入ってきませんでした。ニュースとかちゃんと見なきゃだめですね。

 

その他気になったフレーズなど

グローバル化によって数億人が貧困から脱出したことで、世界全体における不平等は急速に縮小しているのです」「世界が『全体として』ゆたかになった代償として、先進国の中間層が崩壊したのです。”

 

 

教員は「上級市民」なのか?

自分自身で「上級国民」なんて思ったことは一度もないですし、考える意味もないと思っています。が、「市民の皆さん(特に保護者)からそう思われていたらやだな」とは思う。でも、この本に書いてあることを見ると、安定した収入と、結婚・子どもがいる人多いしな~、と。それは上級国民の条件にあてはまってるな~、と。給与面では、あまり不満を持ったことはないです。(仕事量の割に給与をもらっていない教員が世の中に多いのは確かだと思います)。

ただ、それでも私自身は生活きついと思ってしまっていますけどね日々。子育てに時間と金がかかりすぎワロエナイ。

 

やはり学力は大事だが・・・

学歴と収入にはまぎれもなく相関があるのは日本社会で顕著ですが、今後の日本で過ごしていく自分(と家族)や学校で教えている子どもたちを考えたときに、本書のあとがきに書かれたことが気になる。

今後もなんらかの「分断」が起きていくであろう社会において、個人が生き延びていくためにとりうる戦略を2つの方向性から指摘していました。ひとつはエンジニアとかデータサイエンティストなどの高度化に対応する技術を育てていく作戦。もう一つは、SNSでのインフルエンサーYoutuberといった評判資本をマネタイズしていく作戦。ただ。これらの潮流に乗れる人はごく一部だとも書かれています。

 

どのような教育を子どもにしていったらいいのか。結論はでません。ただ、これからも荒波の中で生きていかなければならないことは確定しているっぽいです。ん。がんばろう。