グレ教員の日々の感想

学校嫌いな小学校支援学級教員。日々の思いを忘れないように書くブログ。子育て、学校、読んだ本とか。専門は発達障害支援。

徒然駄文〜「教員ってオイシイ仕事じゃね?」をアピールすることについて考える。

「教職」の人気の無さ


ここ数年、というか私が教員になってから右肩下がりで、社会全体から見た教員という「職業」の魅力って下がってきていると思う。
職業の魅力ってなに?って言ってもひとそれぞれだとは思うけど、
○得られるもの
●失うもの
のバランス具合でだいたい皆仕事決めてるんじゃないかな、と勝手に想定して考えることにする。○得られるものとしては、(給与、社会的地位、仕事内容の楽しさとか満足感とか)、●失うものとしては、(労働時間、削られる体力とか精神とか、社会的地位、etc.)というイメージで話している。

 

近年の教員採用試験の倍率って2000年を境に年々下がってきてるって言われてて、それはもちろん「教員になりたい人」が減っているってこと。まぁ他の職業と比べて、「教員」がおいしくない仕事だと思われてるってことだと思う。

 

コロナ騒動があるまでは私も基本的には教員って待遇だけでいうとそう思っていて、基本的に「割に合わない」職業だと思っていた。
特に失うもの、なかでも「時間」が結構大きいと思っていて、費やした時間と給与とのバランス見ると「これだけやってたったこれだけの額かよ・・・」と思うことも過去には多々ある。
奇跡的に割と暇な期間以外は、普通にやっていたら残業や持ち帰り仕事をしないとほぼ100%仕事が終わらないような業務量があり、それが年度内かなりの時間あるにも関わらず、法律上残業代やその他手当が出ないシステムであるから「割に合わない」職業であると思っている。

 

(と思いながらも、私がこの職業を続けていられるのは、給与以外に他に得られるものがあることと、通常業務を最大限効率化することについて努力し続ける、つまり失う時間を最小化することでリターンとのバランスを取るようにしているが、そういった努力も管理職のしょうもない思いつきやトラブル絡みの保護者対応が入ったりすると一瞬で吹き飛ぶのでなかなかうまくいかないのだが)

 

そんなこんなで長年「割に合わない仕事」と思っていたのだが、今回のコロナ騒動、休校騒動で、「一部の人にとっては意外とオイシイ職業なんじゃないか」と思い始めた。

 

今後、「教員」がオイシイ職業になる人としては、「自分で考えて行動するのが苦手な人」については他の業種と比べておいしくなるんじゃないかと思う。

 

 コロナで「変化を求められる」社会と「変わらなくてもよい」学校

コロナウイルスが世界中で猛威を奮い、日本でも多くの職種が影響を受けたと思う。
民間の多くの業種、特に小売や飲食といった客商売をしている人たちは働き方の変化を迫られ、場合にとっては店を畳む人もいた。正直民間の客商売をしている人たちにとってはとっても辛く厳しい状況だったのではないかと足りない頭で想像している。

一方、インフラというか生活を支える業種にもスポットライトが当たったと思う。水道ガス電気のみならず、自粛期間も平時と変わらず、いや平時よりもハードに社会に貢献したスーパー、コンビニエンスストアなどの小売店や、運送業、そもそも製造業者なども、物理的に我々にとって必要不可欠な存在であることを社会全体が最確認した。この方たちがもっとよい待遇で働けるように、というクラウドファンディングや寄付団体も、自粛機関いくつか見つけた。
最後に言うまでもないが医療従事者には本当に頑張っていただいている。本当に社会全体で感謝を伝えられるべきだし、この厳しい日本の状況を支えていただいたことに、国は何らかのボーナスを与えるべきだと思う。

 

コロナひとつでこんだけ環境が変わったのがほとんどの業種だったのではないかと思うけど。

そんな中、給料(民間でいうと売上)がまったく変わらないのに業務量だけが減った業種が「公立の学校」であったと思う。何しろ国が全国的に「休校」にしたからね。
客商売であれば、客が減ったら当然売上は減る中で、「客が減っても給料変わらない職業」って私が思いつく中では、他にそんな業種はないような気もする。(公立の施設は似たような状況があったかも)
多分ほとんどの教員がコロナによる休校のおかげで業務量が減った。管理職とか一部の先生は増えたかもしれないけど、基本的には減ったでしょう。勤務時間の大半であった子供の相手がなくなったのだから。私自身も「めちゃくちゃ暇とは言えないが明らかに普段より楽だし早く帰れる」状態ではあった。

 

「教員は仕事してないんだから給料を減らせ」みたいな意見を休校期間にはTwitterとかで見たけど、流石にそれを本気で言っている人はあんまりいないと思っていて(本気で言ってたらやばいので考慮する必要はない)、どっちかというと「教員は変わらず給料もらってんだから、休校中の子どもたちのためになにかしろよ」という社会の不満の体現だったのではないかと思っている。

 

「思考停止でも給与がもらえるオイシイ仕事」という魅力

その「教員は何もしていないから給料減らせ」といった意見は教員(公務員)の「職業的魅力」を語る上で結構的を射ている気もしていて、「みんなが変化を求められる時代に、自分で考えて変化をしなくても変わらず給料をもらえる」ことは他の職業にない魅力であることは今更ながらに感じている。
言い換えれば、教員は「個人レベルでは思考停止してよい」と思っていて。
例えば学校で教える内容については「学習指導要領」で文部科学省が決めているし、今回のコロナに関する対応についても、基本的には校長、もしくはその上の教育委員会が決めたことであろう。 


他業種が試行錯誤しながら変化を求められる中で、教員ひとりひとりはなにも考えなくても給料がもらえた。基本的には上の決定に従っていればいいし、逆に単独で動かれても困る。今回の休校についても、どのように子供に休校中の課題を与えるのか、休校が開けたらどのように子供を預かればよいか。のような、教員にとってもクライエントである児童に関わる内容ですら、現場の教員の考えは現場の動きには反映されず、近隣の学校の校長が集まる「校長会」や「自治体の教育委員会」が決めているのが学校という組織だ。

もちろん潜在的には、「こうしたらいい」「こうしたい」という意見を持ったり現場レベルで実践している先生達もたくさんいるのだろう。しかし、日本全部の学校がそれでよくなっていく方向になるとは到底現状のシステムでは思えない。
ある学校に、意識も技術もある教員が数名、仮にいたとしても、その学校の校長の判断ひとつで有能な意見は潰されてしまうものであるし、仮に校長が奇跡的にまともな判断ができる人だったとしても、自治体の教育委員会の判断ひとつで校長の意見が採用されずに潰されてしまうのが学校という組織の体制である。(委員会と学校の力関係については自治体によって異なるらしいが)

そして何より、学校というのは文部科学省の管轄の組織である。仮に有能な人材が教員として学校に勤めていたとして、文部科学省が急遽投げてくる「お触れ」には逆らうことは出来ないし、それが現場目線頓珍漢なものであっても従わなければならないのが学校である。ただし、勿論これは当然のことであるとわかっている。現場の一教員の意見で国の方針と違うことが公立学校で行われていたとしたらそれはそれでとても問題だと思うから。

以下のことから、教員という職は、上の決めた範囲内でしか自分が考えることは実現できないし、逆に「そんなに考えてなくても上の言っていることを忠実にやっていれば給料は間違えなくもらえる」仕事なのは事実だと思う。

世界の動きに敏感で、ビジョンを持つ人にとっては、「非合理的なシステムがいつまで立っても改善されない」だったり「合理的な提案が通らない」、あるいは「自身の持ちうるエネルギーを費やして何かを変えたにも関わらず、給料に反映されない」といったもどかしさからストレスを貯める職業であろう。こういった人にとっては、教員の職業的魅力は下がるのかもしれない。

逆にそれに耐えることができる人間、つまり「考えて行動するのは苦手だが、誰かに言われたことを従順にこなせる人間」にとってはオイシイかもしれない、とコロナ休校中に思ったことだ。

半ばあきらめにも近い。

 

学校が「自分で考えて行動するのは苦手」な先生ばかりになったら子どもたちに悪影響では?という指摘はめちゃくちゃその通りで。考えない先生よりも考えてる先生のほうがいいと思うけど。


勿論本当は「自分で考えて行動して何かを変えてきた人たち」が学校にいて、子どもたちにそれを見せるのが一番良いとは思うし、そんな未来を想像したりもした。

 

しかし、現状の学校システムではそういう人たちが活躍するチャンスはかなり少ない。だからそういった有能な人たちが今後教職を目指してくる、っていう未来に期待するのは少し虫が良すぎるかな、というか、多分この先そんな若者たちは学校には入ってこない。

 

ただ、そうはいっても学校というインフラは今後、社会がどのように変化しようと必要になってくるものだと思う。
日本の義務教育を維持するためには、学校という場と、教師の数は維持し続けなければならない。
だから、「変われない」という性質があるからこそ。「考えることが苦手」「変わることが苦手」な人でもそこそこの給与がもらえる職業、という魅力をおしていけばいいんじゃないかと思っている。

著名人がよく言うのは、「今後は「変化」していける者が生き残る」世界になっていくらしいし。じゃあ「変化が出来ない人」は?その受け皿として、教員って如何でしょうか、って話。

 

ちなみに仮にそうなってくると私自身、子供をもつイチ親としては、子どもたちの未来を学校に期待するのはやめ、なるべく学校に干渉されないように子供の成長を促していくうだろうな〜、ようになr思っている。

矛盾するようだが、イチ教員としては、半ばあきらめに近い形で、今後未来の教育の劣化に備えなければならないのも悲しい話ではある。

私自身教員として、ホントに微力ではあるが、目の前の子供達が少しでも成長できるような環境を作るために頑張ってきたつもりではあるし、勉強・努力を常にし続けてきたとは思っている。ただ、現状の日本の教育を見ているとこれ以上「学校」というシステムに期待が持てないというのが正直なところである。

最悪の「教員がいなくなり学校が崩壊する」よりはマシな未来を追うために、「考えるのが苦手」な人でも「安定して給与がもらえる」ことを教職の魅力としてアピールしていくしかないのかな。というのが先の休校中に思ったことのひとつである。