徒然駄文〜変わらない学校について〜
お久しぶりです。
気づけば2ヶ月間ブログを更新していなかった。
休校中色々考えることは多かったが、いまいちまとめる意欲がわかなかったのもあり。
小学校休校中のこの2ヶ月、グレ教員はというと、、、
こういうと、他業種や同業種の方の反感を買うかもしれないが、特段大したことはしていない、だろう。
休校前までは1日の大半を授業(とその準備)に費やしていたので、急に授業がなくなったら正直「あんまやることない」状態にならざるを得ない。
もちろん、勤務時間中は少しでも休校開け、授業や特支の支援の向上に関わることをやろうと思ってやっていましたし、家庭が子供を見られない児童を預かったりと、少なからず事務的な遊んでいたわけではない、っていうのは明言しておく。他の同僚の名誉のためにも。
あと、自身の家庭のことを言うと、保育園が休園になったのも大きい。休園になり、子供を保育園に預けられなくなった我が家では、他業種の妻よりも、休校中である私のほうが休みが取りやすい、ということで、在宅勤務扱いで子供を家庭保育していた。
私自身、恥ずかしながら「在宅ワークなのに子供を預けるなんてありえない」と、他所のご家庭に思ったことは正直あるが、いざ自分がやってみると「子供の家庭保育」と在宅勤務は両立しない」ことに気づいた。まぁ深い話は専業主夫の河内さんがまとめてくれているので参照してほしい。
変化しようとしない学校
今日は私が2ヶ月間を振り返って一番感じたことをまとめておこうと思う。
この2ヶ月改めて感じたのは、学校の「変化の遅さ」だ。変化が遅い、というよりもむしろ変化を拒絶している。
まず緊急事態宣言中、テレビでは毎日のように、社会の「変化」が報じられていた。この、どうしようもない状況で、なんとか生き延びようと様々な工夫があったのだと思う。在宅ワークが推し進められるホワイトカラーの業種。テイクアウトや宅配にシフトし始めた飲食店。リモートに切り替える各種習い事系の事業など。おそらくどの業種もノウハウが最初からあったわけではないのだろう。私の見る限りでは、たとえばリモートのカメラの質や画角など、クオリティが高いと言えないのもあった。でも試行錯誤しながら、できることを少しでもやっていこうという意思は見られた。
一方その頃学校はというと、「いつ休校が開けるのかな~」という受け姿勢に終始したように感じた(あくまで私の所属する自治体は)。
3月の段階では、4月から開けたときの仮定のスケジュール作りとその準備に躍起になっていたし、4月に緊急事態宣言が「大型連休まで」という期間が出されたら、「GW開けから通常授業ができる」前提のスケジュール作りをしていた。
まぁ準備は大事なのだが、「それまでの子供の学力・体力補償は?」という話にならないのが、リアルタイムで変化していく社会とのギャップを感じて辟易していた気がする。まぁ校長ですら、市の教育委員会の判断がないと何もできない状況だったので、職員室で「子供の学力心配だよね」という話をしても何もならないのはそうだったのだが、リモートワークを政府が推奨していたあの期間すら、全員が定時に出勤し、満席の職員室で向かい合って昼飯を食べながら、「zoomって何?」みたいな会話を繰り広げる職員たちに、思考停止というものはこういうものなのかと思いながら、一人職員室をあとにし、教室でパンを食べた日を送っていたのが4月だった気がする。
5月。
「ゴールデンウイーク開けから全力チャージすれば、休校中の学習範囲も終わらせられる」という我が市の教育委員会の目算は、4月下旬に政府から出された緊急事態宣言延長で崩壊する。(というか、感染者数の推移から見て解除される見込みだったのがおかしいのだが)、そのあたりから、さすがの我が市も「休校中にも未習の学習範囲にも進まないとまずい」と思ったらしく、オンライン学習の話が出たのがやっとこさ5月中旬のことである。当然それまで学校では「オンライン学習をする」なんて先生方は想定しなかった(!)らしく、急いで作った低クオリティの授業撮影動画が、市教委のHPを通して見られることになった。それが5月下旬のこと。ちなみに我が校ではzoomの研修が休校が開ける1週間前に行われた。そして1週間後には休校が開け、分散登校という形で学校が始まった。オンライン学習の話をするものは今はもういない。
学校は本来、この休校中に「何が変われるのか?」を議論すべきだったと思う。
学校の授業「でしか」学べないことは何なのか?
学校「でなくても」学べることは何か?
行事は本当に必要なのか?
行事の内容は適正なのか?
あらゆることを見直すチャンスだ、と私は思うのだが、少なくとも我が校の管理職は思っていないらしい。
日常に戻れるという安心感、というか油断
今は、分散登校という形で、「友達と1m以上距離を空けて話す」ことや、「共有のものになるべく触らない」など、多少のルールは増えた。が、基本的には前と似たような生活を送っている。子供も先生も。まぁ教師の雑務は、以前よりも遥かに増えたと思う。消毒とか。
が、運動会や修学旅行といった行事等が、年度内行われないこと以外は何も変わらず日々の授業が遅れるという安心感が学校に溢れている。zoom研修をしたはずなのに、今では、どこの学年も、放課後狭い密室の会議室に集まって学年会議をしている。もちろん、オンライン学習の話などする職員などいない。今のうちに、「学校でしかできない活動」と「家でもできる学習」の棲み分けを児童たちと確認するチャンスだと思うのだが。
もし、日本でまたコロナの感染が広がったり、あるいは別の何か非常事態に陥ったとき、学校は今回と同じ動きをするのだろう。自身が変わろうとはせず、嵐がおさまるのを待ち、そのあとゆっくりと活動を始める。それはまぁ経営破綻しない官公庁だから、と言われればそうかもしれない。しかし、被害を受けるのは子供たちである。一番今回の休校でよくなかったのは、不慮の出来事に対して、「環境に適応しよう」という姿勢を大人が子どもたちに見せられなかったことである。今後変化の大きい時代に生きていく子どもたちにとってシンプルに良くなかったと思う。
「学校に期待してはいけない」という主張を以前よりしているが、この非常事態ですら変わらなかったんだから今後もそうだろう。
それだけは、子を持つ親は意識していく必要があると思う。