グレ教員の日々の感想

学校嫌いな小学校支援学級教員。日々の思いを忘れないように書くブログ。子育て、学校、読んだ本とか。専門は発達障害支援。

小学校の全教科担任制という運ゲーが理不尽すぎる件について

小学校の先生ってあたりハズレあるよね。

同じ学校の同じ学年なのにクラス違っただけで与えられる教育の質が違うの不公平過ぎない・・・?

 

 

休みは過ぎるのが早い・・・。

 

2019年ももうすぐ終わりますね。普段忙しい生活を過ごしている教員・学生のみなさんいかがお過ごしでしょうか。

 

 グレ教員は冬休み、年休を使って平日休みを2日ゲットしましたが。うちは子供が小さいので休日は休日で大変ですね~。普段の週末の休みと違って、どこ行っても混んでるしね。また、違う業種の妻は出勤なので育児家事も全部やってると一日があっという間に過ぎていきます。これを毎日やっている育休中や専業シュフの方は本当にすごい。正直専業主夫より教員やってるほうが楽までありますよね。

 

2019年の環境の変化


 さて、グレ教員が今年度、初めて小学校に勤務するようになって9ヶ月が過ぎたわけです。学校視点でいうと1学期、夏休み、2学期が過ぎたことになります。
 私は特別支援学級の担任なので特支の子どもたちに指導を行っているわけですが。特別支援学級担任の仕事といえば、私が直接子供に指導することももちろんあるのですが、特支の子たちが通常学級に入って学習しているのを、そばで支援することも同じくらい多くあるんですよね。小学校の特別支援学級は、子どもたちの学年はまちまち(1〜6年まで一人ずついることだってある)だから、必然的にいろんな学年のいろんな学級のいろんな先生の授業の場に居ることができるんです。授業の多くは支援学級のこどものそば(遠くで見守っていることもあります)にいるわけで、「授業を受ける側の視点」で授業を見る時間がすごく増えたっていうのがここ数か月の私の環境の変化です。
 まぁそんなこんなで小学校に入って思ったことを一つ。うちの勤務校を見たグレ教員の主観です。n=1。α=.03。


こども目線で担任に「あたりハズレ」があるという事実

私ね。いろんな学級で子供のそばでいろんな先生の授業受けてて気づいたんですよ。「教員間の指導スキルの差がでかすぎる」ことに。
不快に感じる人もいるかもしれないが、こども目線から見て、その年の「担任の先生のあたりハズレ」は間違いなくあります。これは、どういった先生を「あたり」と思うか「ハズレ」と思うかはこども(の親)それぞれによって違うと思いますが、絶対にあります。
 今回、私は「学習指導スキル」だけに絞って話すんですが、学習指導においては「あたり」と「ハズレ」と言っていいくらい「できる先生」と「そうでもない先生」の差がでかい。


で、ですね。別にグレ教員は「ハズレ」の教員を否定したいわけじゃなくて。いや「ハズレ」って言葉使ってる時点で苦しい弁明なんですけど。
要は「相対的にスキルの低い先生」って当然いるわけじゃない。それはしょーがない。経験年数とか、これまでの経歴とかいろいろあるから。(あたりまえですけど経験浅い人は相対的にはスキル低い可能性が高いと思います。めちゃくちゃ努力したり資質あったりで初っ端からスキル高い初任もいるんでしょうけどね。)
ただ、先生のスキル差はあるにしても、教育インフラである公立小学校において、ひとつ名簿がズレて隣のクラスなだけで、受ける教育の差が違いすぎるのどうなのかな、って思うわけなんです。
いや、しょーがないよ、って言われればそうなのですが。納得できない部分も市民目線はある。


「教師一人一人のスキルアップを目指す」という解決策は現実と離れている


残念ながらね。

一般の人からしたら「いや、お前ら教師の質を上げればいい話だろ」っていうのが普通な意見かなと思います。
おっしゃるとおり、本当は我々教師が常に勉強し続けて技術や知識を磨いていければ一番いいんですけど。でも、実際の業務の中で全教員対象の研修やら研究って残念ながらほぼできないんですよね。勤務時間内だと日々の業務を回すだけでやっと。つまり「教師のスキルアップ」の多くはそれぞれ先生方の日々の努力にゆだねられる訳です。ってことは当然そこにスキル差は生まれる。

努力できる先生は休日や空いた時間を使って自己研鑽をするが、それができない先生はスキルがなかなか上がらない。(できない理由はいろいろあります。その人たちを否定したいわけではありません)「努力している先生」は授業を見てればすぐわかります。発問のひとつひとつ、端々に出ますからね。


 新規採用から1~3年目くらいまで、業務としての研修の機会が設けられている自治体が多いと思いますし、そこで意味のある研修が行われていればスキル差は埋めることが理論上できますけど。現実としては全教科の指導スキルをあげるだけの研修時間と内容がとられているかといえば、まぁ無理でしょ、っていうしかないですね。 


 そして私が気になるのは研修を少し昔に終えている、中堅~ベテランの先生ですよね。誰かに授業を見てもらう機会もなくなった先生。経験値、っていうのはやっぱりそれなりに強いのですが、本とかニュースとか、最新の情報に触れていない先生はすぐわかりますよね。「いつの時代の話をしとるんや・・・」みたいな。
 この年代こそ努力している人としていない人の差も大きいような気がしています。

 
スキル差対策として「教科担任制」を見ると・・・


そんなこんなでこれまで何十年とやってきた小学校の担任制。これはとても教育を受ける側からして、とても不公平な制度だと私には思います。児童側には担任を選ぶ権利はないですから。
 しかし、小学校にも教科担任制が採用されそうな動きです。(一部の小学校ではすでにやっているとか)「算数」なら算数担当のA先生が、「国語」なら国語担当のB先生がクラスに来て学習指導をする感じでしょうか。中学校や高校と同じようにするってことですよね。

https://www.mext.go.jp/content/1422644_002.pdf

義務教育9年間を見通した教科担任制の在り方について
(論点)より引用
1.小学校における教科担任制の導入により,教材研究の深化や授業準備の効率化による教科指導の専門性や授業の質の向上,教師の負担軽減が図られ,児童の学力の向上,複数教師による多面的な児童理解による児童の心の安定が図られるとともに,小中学校間の連携による小学校から中学校への円滑な接続などが実現できる。義務教育9年間を見通した指導体制の整備に向けて,小学校高学年の児童の発達の段階,外国語教育をはじめとした教育内容の専門性の向上などを踏まえ,小学校高学年からの教科担任制を本格的に導入すべきである

 


小学校高学年から、ということですが、私はこの改革に対して比較的ポジティブな印象を受け取ってます。
複数の教員に教わることによって、各クラスの受ける教育を均すことができ、「ハズレ」クラスをなくす効果もあるのかな〜と思ってます。


※教科担任制の本来の目的はより専門性の高い指導を児童に行うことですので、私が述べている効果は私が勝手に期待していることですよ、そこんとこ間違えなく。。
 

できない子ほど「ハズレ」を引いたときのダメージがでかい


「そもそも小学校の担任に勉強は期待しない」「そもそも学習の責任は家庭であるべき」などという意見もあるんですが、それはその通りです。学習を「学校に任せきり」など親は絶対してはいけません(確信)。
 けど、なかなか学校以外で学習できない子ども・家庭が一定数いるのも事実です。私も指導スキルの低い先生の授業を後ろで見させてもらうことがあるのですが、見ている限り、勉強が得意なことたちにとっては、さほど問題にはなりません。きっと家庭や学習塾などを使って、その担任のスキルにかかわらず学習を習得していきます。

 ただ、勉強が得意でない子たちは、教員のスキルの低さは大ダメージを与えます。勉強の内容がわからないこともさることながら「勉強はつまらない」という意識を小学生段階で強く思わせてしまうのが一番の懸念事項です。そういった子たちは家庭での補教も難しいことが多く、一度つまらないと思わされたダメージは担任が変わっても引き継がれるのではないかと心配します。


ドリーム学校はないからこそ。


今の公立小学校の採用システムや異動システムでは「あたりの先生」だけで構成されたドリームチーム、ドリーム学校は存在しません。これは会社やスポーツチーム、どのような組織でもそうだと思いますが、ことさら学校においては、どうしても相対的に学習指導スキルの低い「ハズレの先生」もいると思います(それは私自身が「ハズレ」に位置することも当然あると思います。そうならないように日々努力しているわけですが)。だからこそ、できる先生が、そうでない先生をカバーできるような仕組み、組織全体で子どもへの不利益が最小限になる方法を考えることもあっていいのではないか、、、と思った次第です。

 

2019年の最後の記事になると思いますが、私の中での2019年総括として、ひとつ無益な雑記を述べさせていただきます。

 

よいお年を。