グレ教員の日々の感想

学校嫌いな小学校支援学級教員。日々の思いを忘れないように書くブログ。子育て、学校、読んだ本とか。専門は発達障害支援。

徒然駄文〜 無意識に線引きする小学校の先生たち

小学校の先生の「苦手なことがある児童」への理解は進んできたと思っていた、がそうでもないらしい。

 

小学校の特別支援学級といえば、在籍する児童は自分の特別支援学級だけでなく、通常学級の教室に入って一緒に授業を受けたりする機会が多々ある。(いわゆる30人以上で構成される学級。便宜上通常学級と名付けておく)いわゆる「交流学級」とか「親学級」と呼ばれているシステムである。自治体によって方法は全然違うと聴いているが、多かれ少なかれどの小学校にもそういった機会はあるだろうと思っている。

 

私も昨年度から特別支援学級の担任をしているが、在籍の児童が通常学級に入って生活する時間がかなり長い。

私の感覚の話であるが、通常学級の担任の先生でも、特に若い先生を中心に、比較的理解を示してくれる先生は多い。例えば「授業中に声を出してしまう」とか「時折忘れ物をする」など、学級の多くの児童とは同じようにできないことについて、叱責したりとか「みんなと同じようにしなさい」のような指導はあまりしない印象だ。(もちろん「何でもOK」ということではない。だめなものはちゃんと注意してくれる先生がほとんどだ。)

 

当初はこの小学校の様子をみて、だいぶ小学校でも理解が進んできたな、と思っていたが。まぁでも別にそうでもなかったとすぐに思った。このように特別支援学級の児童には配慮を見せる先生が「通常級に在籍する児童」には全く配慮を示さないのをここ1年半でたくさん見てきたからだ。

結局、先生が見ていたのは「支援学級の児童」か「通常学級の児童」かで線引をしていただけなのだろう。配慮や特別な支援は「支援学級に在籍する児童のみ」にされるべきだと勘違いしている人が本当に多い。支援学級の児童がやったときには、優しく聴いてくれる先生が、同じことを通常学級の児童がやった場合には厳しく叱責する。その子が何度もやってしまうことを何度も叱責する。挙げ句に「(自分がよく叱責している子を)支援学級に入れられないか」などと支援学級担任である私に相談してきたりもする。

その度に私は辟易しながらも「宿題を少なくしてあげる」「モノ忘れについて緩くしてあげる」など、クラスでできる簡単な配慮を提案するのだが、毎度のように「いや、一人だけ特別扱いはできません」とはねのけられる。その先生自身は、教室に出入りしている特別支援学級の児童にはとても理解配慮をしてくれる先生なのに、だ。

 

結局、支援学級か通常学級か。そういう風にしか見ていないのだな、と思う。

 

「手帳があるかないか」「診断があるかないか」「支援学級か通常学級か」で線引きして配慮をするかしないか、の二者択一で考えを検討することは学校現場ではよくないと思っている。あるところで線引をにすると、ラインぎりぎりにいて、「配慮しない」側に入ったものがめちゃくちゃ不利益を被るからだ。この世の中は白と黒で分けられるものじゃないから、グレーゾーンが必ず存在する。学校現場でいうなら、「通常学級でできる限り個々に合わせ、通常学級でできる配慮を最大限しても学校生活が難しい場合に校内リソース(支援学級など)を活用する」ことが理想的かと思っている。

 

いずれにしても、こういった先生が一人二人じゃなく本当にたくさんいる。

 

特別支援学級に在籍している児童にすら全然配慮しない先生もいるが、そういった先生は本当に少数派だと思うし、年配の方に多く、若い先生にはほとんどいない。

しかし、通常学級にいる「ニーズがある児童」を「ただのできない児童」だと認識している先生が本当に多い。言動からは「支援児じゃないんだからちゃんとやれ」の思考が垣間見える。これはまだまだ特性の理解が進んでいない証左。

 

支援学級が要らなくなった世界が、理想形だと思っている私としては、先は長いな、と思っている。