グレ教員の日々の感想

学校嫌いな小学校支援学級教員。日々の思いを忘れないように書くブログ。子育て、学校、読んだ本とか。専門は発達障害支援。

主婦をサラリーマンにたとえたら想像以上にヤバくなった件を読んだ感想

専業主夫はてなブロガーの河内瞬さんの著書。
 
河内さんのブログははっきり言って大ファンで、この本も発売と同時に即買いました。kindle版も同時出版ありがたい・・・。

 

主婦をサラリーマンにたとえたら想像以上にヤバくなった件

主婦をサラリーマンにたとえたら想像以上にヤバくなった件

 

 

本の概要

著者の河内さんは、サラリーマンから専業主夫に「転職」した自身の経験を生かした記事を、ほぼ毎日更新のブログで発信しているはてなブロガー。
著書の内容は主にブログの主たる発信をまとめたものと言えます。
ではそのブログのメインテーマは「主婦の仕事の大変さ」をです。ただ、河内さんの「男の目線が入った話」や「おもしろいミニマンガ」が毎回入っているのが特徴で、主題の興味以上にとっても惹きつけられる魅力があるブログです。
おもしろいのが、著書名にもある通り、「主婦(家事)業を会社にたとえると」・・・のくだりはハズれなく秀逸で。マンガ入りの「部下(子供のたとえ)がタスク(掃除洗濯炊事のたとえ)の邪魔を際限なくしてくる」描写は、なかなか想像しにくい家事の大変さを一発でわからせてくれます。
 
 

本の感想

 

結婚してる人、予定がある人、男女問わず全員読んでほしい・・・

 
もちろんブログを毎回チェックしている私からすると、「当然予測できていたこと」ですが、控えめに言って最高の本です。令和のこの時代、この先結婚をしている、する予定のある人は一度は読んでおくべき内容だと思っています。
 
まず、専業シュフがいる家庭の方、特に刺さると思います。そしてシュフ側ではなく、外で稼ぎを得ている側が必ず読むべきです。毎日、「オレが稼いでやってる」とか「ずっと家にいるのにこんなこともやってないのか」とか思ってませんかね。この本読んだらそんなこと言えなくなりますよ。
共働きの家庭にも参考になる部分は多いと思います。共働きでも家事は当然あるわけですから。日本は共働きであっても家事が女性に比重が寄っている家庭がいまだに多いようですからね。因みに我が家は共働きですが、私自身はこの本(ブログ)の内容に大きく影響を受けています。本出版にあたって、妻にも
 
結婚する予定の人や、育児業などがひと段落した人も読んでほしいですよね~。日本はまだまだ子育てしている家庭にやさしい社会ではないですから。少しでもその大変さを理解できると、やさしくなれるのではないかと思います。
 
 

河内さんのブログに影響を受けた部分

 
一番は「シュフの時間はパートナーにしか捻出できない」
この件、本当にやってみるとその通りなんです。これ、多分だけど「一度家事をすべて引き受けてみないと理解できない。」ことなんですよね。
 
私も河内さんの子の主張を読んでから、少なくとも土日のどちらかは必ず、「子供を預かり、家事を
すべて行う」ようにしています。それをすることで、妻は1日フリーな時間を過ごしてもらいます。
妻が育児休暇をとっているときはなるべく土日両方。妻が職場復帰して共働きになってからは、相談して、妻と私、土日のどちらかは1日フリーになれるようにしています。日中、家族3人ででかけることが結構減りましたね。そして「そのほうがいいな」と思ったりもしています。
深くは書きませんがやってみるとわかります。
(土日部活の先生たち・・・私は貴方の「家族のこと」を心配しますよ。なんてね。)
 
本では子育てに関することが多めですけど、ブログは毎日更新に近いのでいろいろ共感できることや、自分と違う視点得られて楽しいですよ。

まとめ

簡単ですがレビューでした。
オススメです!
 

【認定試験】全員合格叩きは不当だと思う。

教免の試験が『全員合格』!?

台風、大変でしたね。被害にあわれた方々には心よりお見舞い申し上げます。
 
私も関東在住なので、昨夜は怖い思いをしながら過ごしましたが、事前の対策も講じて、幸いにも殆ど被害なしで済みました。ライフラインも我が家においては異常なしです。(近隣の住宅では停電等はあったそうです)
 
 
さて、台風の影響で、昨日10月12日(土)に行われる予定だったイベントが全国的に中止もしくは延期になっていたと思います。
 
その中で話題になっているのが、「小学校教員免許認定試験(2次試験)」。
 
台風で流れるのは仕方ないのですが、その試験の扱いが「受験者全員合格」という判断になっていて物議を醸しております。
 
以下記事引用

 小学校教員資格認定試験は、教職課程を履修していなくても、教諭資格を得られる制度。二次試験は12、13日の2日間予定されていたが、「気象状況、鉄道等の交通機関の運行予定等を踏まえ、一部の会場で受験者及び運営職員の安全が確保できないことから、全会場で2日間とも中止と決定しました」と発表された。そのため、受験予定者は特例として全員合格にするとした。

   今回の決定にツイッターでは「延期じゃないの?」「普通延期でしょう・・・」と疑問視する声が相次ぎ、教員の質の低下を招くとの指摘も出た。

   今年度の出願者は917人。マークシートによる一次試験を経て、二次試験では、筆記、実技、口述試験が予定されていた。三次試験(指導の実践に関する事項に係る試験)は11月中旬に行われ、合格すれば小学校教諭の二種免許状が授与される。

   過去5年間の合格率は11〜14%で推移。試験実施事務は2018年度から文部科学省に代わり教職員支援機構が行っている。

 

 

実は私も過去にこの試験によって2種小学校免許をゲットしております。(そして、現在小学校教諭)それもあって、今回の処置への叩きが少し不当に感じることがあったのでここに考察を落としておきます。
私が過去に教員免許認定試験を受けた時の記事
 
結論から言うと、今回の運営の処置は「妥当」だと考えています。以下理由を述べていきますね。
 

不慮の「災害」であること

まず、今回の試験は遠足とか運動会とかじゃなく、雨天実施の「試験」です。基本的に予備日等が設置されるものではないってことです。
そのうえで、当日実施できない「災害」がやってきた。突然です。この上で、当日の試験ができない場合の処置をどうするか、運営側はとても迷ったと思います。今回の処置が「苦渋の選択」であったことは紛れもないでしょう。
前提として、「想定の範囲外の仕方ない状況」であることは頭に入れる必要があると思います。
 

「延期」という選択は?

結論から言うと、現実的に考えると「ありえない」と思います。この試験(特に2次試験)って、見た限り実施めちゃくちゃ大変なんですよ。実技があるのででかい体育館をおさえなきゃいけませんし、人員確保(私が受験したときは東京学芸大学の学生だと思われる方がたくさん協力してくれていました)しないといけませんし。
急に「台風で試験飛んじゃったね。じゃあ来週やりま~す」なんてできるものでもないです。あ、あと全国同日実施なのに会場めちゃくちゃ少ないです(全国で6か所!)。各会場でも地方から前泊してる受験生とかザラだと思います。事前に予備日の告知もなく、受験生900人を振り回す「延期」なんて簡単にできることではないかと思います。
ちなみにこの試験には3次試験があり、その日付が決まっています。2次試験と3次試験の間で、新たに日程をとって合否判定して、各受験生に通知して・・・が現実的じゃないのは運営側の視点になればわかると思います。2次試験「全員不合格」はもちろん無理ですね。これは受験生側の視点になれば承服できるものではないですからね。
 

『全員合格にしたら、教育の質ガー!!』

教育の質による影響、ないです。笑。
 
まぁそれは言いすぎだけどそれでも「ほとんどない」レベルだと思う。私がそう思う理由は大きく以下の2つ。
 

①教員採用試験ではないから

まず、この試験ですが、「教員免許」を取得するものであって、「教員として雇われるかどうか」の試験ではないのです。正規の小学校教諭になるためには、各自治体が実施する「教員採用試験」に合格しなければならないのです。そして教員採用試験が「全員合格」になることは台風であってもそうそうないと思いますので。それとごっちゃにしている人が多いな~、とは思います。
 
正直、今の「教員免許」って「教員としての質」を保証するものになっていないと思いますよ。教育の質を言うなら「認定試験」そのものの是非に言及するならまだわかりますけどね。
だいたい、今は免許なくても教壇に立っちゃう時代です。本校でも「中高の免許しかないけど臨時免許で小学校の担任(講師)をする」とか平気で行われているし、ほかの自治体でも少なからずあるでしょう。
教育の質を「試験」に求めるなら教員採用試験以外意味がない、と私は今の教育界の現状みて思っています。
 

②3次試験があるから。

実はもともと教員免許(中高)を持っている人は「3次試験(正確には「指導の実践に係る試験」)免除」になっており、2次試験をパスすれば小学校免許ゲット!となるわけですが、そもそも教員免許を何かしらもっているので、この試験の結果がどうあれ教員にはなれる状態なんですよ、その人って。
そして、教員免許をもっていない人は3次試験があります。この試験が実は一番「教育の質」に関係するような内容になっているので、一応「最後の砦」がまだ残っている状態です。
 
あと、2次試験の内容って、実技とかあって重要ではあるんですけど、対策すれば難関ってほどではないですし(少なくとも小学校で働きたいならこれくらいできてほしいってレベル)、1次試験のペーパーの方が難しいと思いますけどね。
 
 
引用させていただいた報道では上記の点は言及されていないですけど、教育叩きたいだけ、あるいは取材不足かな~、と思いました。
ただ、この点は教育界にいないとわかりにくい構造であることは否定できませんので、一般の方が叩きたくなるのはわかりますけどね。
 

結論は?

まとめると、私は今回の全員合格処置については
「全員合格は仕方ない!」
「教育への影響は、ほとんどない!」
と思ってます。
 
もちろん色んな考え方や視点あると思いますので、全然違う意見もいっぱい世の中にあるでしょうね。その人たちの不安や懸念も間違っていないとは思います。
そもそもこの「一発試験で教員免許がゲットできる」試験の是非自体が議論されるべきものではあると思いますし。ゆっても私自身ちゃっかりこの試験で小学校免許ゲットしていてなんですが。
 
ただ、今回、認定試験の運営殴られまくりなので少し書いてみました。運営の皆様、判断困ったと思います。本当お疲れさまでした。
 
 

【小学校】運動会のダンスって要らなくない?って思った話。

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先日、今の職場で初めての運動会が終わりました。
当日はそこそこ私自身も楽しんで参加できたのですが、当日までの1か月の練習期間は地獄でした。
特別支援学級の子は、運動会が苦手な子が多く(体力がない、非日常が苦手)無理させたくないのが本音なのですが、運動会という全校の場で失敗させたくない、っていう思いもありますので、かなり気をつけてサポートしていました。
さて、特別支援学級担任は、運動会の練習の指導に主で立つことはないので、運動会の練習の様子を比較的客観視できた気がします。
 
その中でふと気づいたことがあるのですが、本校の運動会でどの学年も発表していたのが「学年全員でのダンス」。
私、このダンス発表が運動会にいらないんじゃないかと思ってしまったんですよね。今日はそんな話をつらつらと。
 
※この記事で述べることは、すべて、「私の勤務校に限った話」であり一般化するつもりはありません。いろんな学校の状況ややり方があると思うので、「ダンス発表」そのものを否定したいものでもありません。あくまで自分視点での所感。
 

ダンスがいらないと思った理由。

①練習が大変でイライラする。

まず教師側なのですが、ダンスの考案(曲決め、ダンスの振り付け、隊形)がまず大変。その後、子供たちに指導するのが本当に大変。それぞれ習得のスピードが違う100150人くらいに一斉にダンス教えるのとかやばい。
そして子ども側もめちゃくちゃ大変。春運動会・秋運動会どちらにしてもだいたい1ヶ月そこらしか練習期間がなく、毎日のように1日1時間~2時間以上、場合によっては夏休みなどのダンス練習を強要される。練習期間がないのでハイペースになるんですよね。踊るのが好きな子はいいが苦手な子にとっては苦痛でしかない。
 
練習が大変であると何が起こるかというと、子供も大人もイライラします
練習中、隊形移動がうまく覚えられなかった子供に対し、別の子供が「ちゃんとやれよ!」みたいな強くあたるのを何度も見ましたそして何より、運動会練習中の先生たちの子供たちに対する怒鳴る回数と多さといったら。時間も限られていて、広いグラウンドでやっているから怒鳴りたくなるのもわかりますが。子供たちだって全員がやりたくて
やっているわけじゃないのですから。暑い中我慢してやっているのに、怒鳴られたりするわけですからまぁやってられませんよね。
面白いのが、「綱引き」や「リレー」みたいな練習では教師の怒鳴り声って激減するんですよ。教師が怒鳴ってるのはだいたいダンス練習の時。
 

②子どもの自主性が入り込む余地が少ない。

秋運動会の場合、だいたい夏休みに学年の先生たちが相談してダンスの振りや曲を決めるため、子供たちがこんなダンスをしたい!という気持ちが入りにくい。
自主性が入りにくいってことは、子供たちからすると「やらされてる」感が強くなるってことです。学習はすべて共通なのですが「やらされる」感が強くなればなるほど、その習得の効果は薄くなります。
 

③現状子どものためよりも親のため、になっている

ダンス練習をしていると、ダンス担当の先生自身が子どもたちに「お父さんお母さんを驚かせてあげましょう」とは言うのですが、「これをすればあなた自身に〇〇の力がつきます」とは言わないんですよね。このことから、運動会のダンスというのは「観客に喜ばせるためのもの」が本質だと思っています。
そんなんだから、運動会のダンス指導といえば、振り付けのかっこよさとか個人のキレとかはあまり重視せず、曲中の移動とか隊列変化に時間を割いて、「全体の見栄え」を重要視しています。個人のダンス能力の向上はあまりどうでもいいや、ってスタンスってことですね。確かに、隊列を派手にすれば見てる側からすれば見応えはあるのかもしれないけれど、子ども一人一人は「ダンスを楽しむ」とか「ダンスが上手になる」って感覚が薄くなる。隣の子供と合わせる能力は上がるけどね。
運動会が「ダンス発表会」って名前であるならば、観客意識の演技もわからなくはないけど、運動会っていうのは「日頃の体育で培った力を発揮する場」だとするならば、付け焼き刃のこの時限りのダンス練習自体は意味あんのかな、って思います
 
①②③より、「労力の割に、教育的効果が低い」のでは?と思ったのが正直な感想ですね。
当日のこどもたちの様子見ていたら、各学年のダンスよりも、綱引きや玉入れ、リレーを注視して一生懸命応援していましたよ。あの一体感が運動会の教育的意義だと思うのですがね。

ダンスが感動的なのはわかる

集団でやるダンスって確かに泣けるのはわかるんです。親御さんはじめ観ている側も「子供たちがこの日のために頑張ってる姿」が想像できるから泣けるのではないでしょうか。私もあの手の団体演技には弱いクチだったんですが。
でも今年度初めて、児童をサポートする側に入って、「教師にやらされている子供」の構図が見えるとね、なんか泣けなくなっちゃいました。なんかホントに大人たちの自己満足に子供たちを付き合わせているだけじゃないかな~、って。まぁ自分でもひねくれてるな、って思います正直ね。
 

といっても変わらないんだろうが。

仮に私が勤務校で「来年度の運動会ではダンス発表しない案」を提唱しても、まず通らない。それはわかっていますよ。先生も保護者も集団ダンスをこんな視点で見てはいないでしょうからね。でも私自身は、今から来年度の運動会を想像してブルーです。それくらい集団のダンスに疑問を持ってしまった。
 
全国的にはどうなんでしょうかね。私がこう思うのはうちのダンス指導がよくないだけなんでしょうか。ダンス発表にも、子供の自主性が入り込む指導をしている学校はあるのでしょうか。
麹町の中学校の運動会の例もあるし、運動会も改革するポイントいっぱいありそうだな~、と思いながら代休月曜休みの夜をすごすのでした。

【本】『凡人道~役満狙いしないほうが人生うまくいく』を読んだ感想

 

凡人道 役満狙いしないほうが人生うまくいく

凡人道 役満狙いしないほうが人生うまくいく

 

 

本の概要

 

著者であるひろゆき氏が、これからの日本を生きる「特別な才能のない人」に対し、生き方の心得をまとめた本。

日本全体は、今後の未来として低賃金化や治安悪化など環境が悪くなる未来は避けられないとしながらも、大きな希望がなくても楽しく生きていけると主張している。

章ごとにマンガも入っているのと、簡易な話し言葉で書かれているのでとっても読みやすい。

私はちょい早めに読んで90分くらいで読めました。

 

著者について

ひろゆき氏は2ちゃんねるの開設者で有名ですよね。今は何の仕事をしているかわかりませんが、ネット番組やテレビにちょくちょく出演されているのをお見掛けします。

私自身は、YOUTUBEでときどき生配信をされているので、アーカイブを拝見しています。動画は編集ほぼなしだし、音質も画質も低い感じです。が、ひろゆき氏ほどの儲かっている人があえて質素な感じで放送をやってるからこそ、その話の内容については納得感が多いコンテンツ化と思います。

 

本の感想

率直な感想では、ひろゆき氏らしい本。

というか、彼が普段生配信で言っていることの中で「才能ない人の生き方」の部分だけをまとめたような本になっています。

なので、彼の配信をチェックしている方にとっては、「なんだ、いつも言ってることじゃん」と思うかな、と。ただ、あんまり放送見たことのない人にとっては、この本は彼の主張をわかりやすく知れる本になっている、と思います。彼の配信ってダラダラコメントに対し雑談しているような感じなので、1から今までの放送をチェックするのは無理なのでね。

基本的に彼の主張の根底にあるのは「社会や他人については諦め」たうえで、「自身の幸福が最大になるようにする」ことを意識して生きることが大事。ということだと理解しています。社会や他人がよくないのはしょうがない(=期待しない)ということを思ってしまえば、楽しく人生を送れるってことなんだと思います。

 

心に残った部分を自分に置き換えて考える。

「好きなことで生きていく」に囚われない。

ひろゆき氏は日ごろから「仕事というのは、基本的にみんながやりたくないこと。だからお金がもらえる」ことを口にしています。なので「好きなことを仕事にする」ことはみんなができることじゃないと指摘しています。なので「そこまで苦じゃない仕事を天職と呼ぶ」結論を出しています。

 

このことを自分に置き換えると、去年までは特別支援学校で働いてたのですが、その時の仕事は「そこまで苦じゃない」仕事でしたね~。ただ、やりがいがめちゃくちゃあったか、と言われれば微妙でした。

現在は小学校の特別支援学級で勤務していますが、今は昨年と逆で、「仕事は苦が多いけど、やりがいはある。」って感じなので。って考えると、私の天職は特別支援学校のき教員なのかも。と。

 

「四大卒」の下駄が必要な人は多い

 

これもひろゆき氏が配信でよく言っている内容ですね。「特に才能がないなら4大卒」に行くべき」というやつです。最近では、特にインフルエンサーや有名人などが、「大学に行くだけでなんとかなる時代はなくなる」という主張をしている中で、ひろゆき氏は一貫して「Fランだろうが大卒の資格はとるべき」と主張しています。それだけで就職や収入の可能性があがる、「凡人道」というものなのでしょう。

 

確かに理想論としては、学歴かかわらず、能力に応じて評価がされる社会であるとよいのかもしれませんですが、現状いまの日本ではそれは望めないですよね。「能力がなければ大卒をとれ」っていうのは理にかなった選択なのでしょうか。質の高い学問が重要だと私は感じているので、資格取得みたいなノリで大学に進学するのがあまり好きにはなれないのですが、個人の選択としてはそうなるよな、って感じはします。

 

本の読んだ感想まとめ

いつもひろゆき氏の著書や配信を観てしまうのは、彼の主張を聞いていると「何も特別な存在である必要ないんだ」って思わせてくれるからです。

私と同じ教員という立場に限定しても、インターネットを見ていると教育著書をたくさん出版されている方々や、教員の待遇改善に尽力している人たち、学会で実践報告をされている方々など、私よりもはるかに「特別」な人たちが様々いらっしゃいます。それを見るたびに「私も何者かにならなければ、教員になった意味がない」というような焦りを感じることが多々あります。

ただ、本書を読んで、「毎日楽しけりゃいいや」「楽しく教員やれているうちはそれを続けよう」と気持ちになります(今はそれも少し怪しくなっていますが)。もちろん、人の人生にかかわる仕事なので適当にしていいわけではないので、向き合っている子供たちに対しては私の与えられる最大限の環境は提供し続けますけどね。

ひろゆき氏自体は本当にテキトーな感じで本や配信をしてますけど、きっと彼に助けられている人、いっぱいいるんでしょうね。

 

今後の将来に不安を感じている人、焦っている人、一回はひろゆき氏ののコンテンツにあたってもいいのではないでしょうか。

 

【学校】同僚が俺の時間を奪ってくる。

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他人の時間を大切にしない人っていますよね。程度のちがいはあるでしょうが、多分どの社会にもいると思います。

 

が、特別支援学校から小学校に転任してきて、その他人の時間を大切にしない人、の割合が一気に増えたような気がします。

というか、こういう人たち、まじでなんなの?

 

 

よくわからないのですが、ただひとつ言えることは、他人に自分の時間を奪われる、ことのストレスは半端ないということです。

 

 

時間外労働は絶対ある。

いやね、しょうがないですよ?

学校という職場は、全職員が定時で帰ることは基本的に不可能です。業務のトータル量的にね。

だから多かれ少なかれ、学校職員はみんな残業したり朝早く出勤したりして時間を捻出していると思います。

 

ただね、それでもちゃんと学校には「勤務時間」ってのがあるんですよ。というか本来は超勤4項目以外は残業を命じられないし。

 

 

今日中に、明日までに、を放課後に言ってくる。

30分くらいで終わる作業だから今日(明日)までによろしく」みたいなことを言ってくる学年主任

 

いやいや、今、定時10分前ですけど?退勤後もメシつくったりとか子供の迎えとかいろいろやることあるんですけど?

 

退勤時間までに絶対終わらない会議を設定する分掌主任

まぁ小学校ってホント忙しくて、会議すらなかなか捻出できない。それはわかるし、たくさん分掌やトラブル対応を抱えている先生に対し同情もする。だけどさ、それでもなんとか時間内に終わらす努力しようよ。会議の内容も整理して、だらだら喋り場にならないように主任がテキパキ進行しようよ。

 

この前も校内での研修の方向性を決める会議に90分以上かかりました(定時を60分程度オーバー)。主任~、仕事しろ~。

 

みんなで一緒にやる作業を約束してたのに、急に開始を1時間遅らせる分掌主任。

「ごめん、少しやることあるから1時間後に呼ぶわ(そのとき勤務時間30分前)」いや、勤務時間30分も過ぎた時間に設定すんなや。

 

他にもいっぱいあるが、今の勤務校には「大切な時間を、奪ってすみません」感がない。なんか当たり前のように勤務時間外に仕事が設定されている。

 

前の学校と比べるのもあまり意味はないが、今の学校は結構異常な感じだと思ってはいる。前の学校では、少なくとも全職員が参加するような会議や業務は勤務時間内に設定されていたし、勤務時間外でしかできない仕事があったとしても、「時間過ぎているので、用事がある方は抜けてください」など一定の配慮があることがあった。

しかし、今の職場は本当に、誰一人「勤務時間外ですみません」的なことを言う人がいないし、終わるまで「全員でやる」のが当たり前になっている。もしかしたらそれが学校という職場のデフォかもしれないですが。でも、嫌なもんは嫌だ。

 

 

 

なぜ人の時間を奪うのに躊躇がないのか?

もちろん最終的には平気で時間を奪ってくるその人自身に聞かないとわからないんですけど。おそらく、様々な環境、経験から、みなさんそれぞれ「他人の時間を大切にできない」人間性になってしまったのだとお察しします。

これについては、またの機会に追加で書くとしましょう。

 

私自身は、そうなるまい、と。こうやって愚痴をネットに書くことで、何とか染まらないようにしている、そんな感じです。

 

さ〜、明日からも頑張りましょう。

【子育て】【教員】子育て休暇は”取る側”もキツイ。ってことに気づいたっていう話。

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記事の概要

「子供の体調不良で仕事を休む」ことについて、気づいた視点をつらつらと書いた内容。

オチや結論は特にないです。

 

 

教員でも、子育てしてたら休まざるを得ない

子育てをしながら働いていると、絶対に避けられないのが「子どもの急な体調不良による早退・欠勤」です。(近くに助けてくれる親戚等がいる人は違うかもですが。)

妻と共働きになって、子供を保育園に預けるようになってから実感したが、幼児というものは本当に体調をすぐ壊す。

 

これまで勤務した学校でも「子どもの急な体調不良による早退・欠勤」をしていた先生はちょくちょくいらっしゃいました。

”急な”休みなので、当然残った職員がなんとかカントカその穴を埋めることになります。

 

”休まれる側”もですが、”休む側”もしんどい説

 

私にまだ子供がいない頃、特別支援学校で勤務していたことがあります。ある年度に、保育園に2人のお子さんを通わせながら、私よりも何歳か年上のママ教員と一緒に担任をしていたことがありました(特別支援学校では2担任・3担任が一般的)。

 

その方もやはり、お子さんの急な体調不良で、欠勤や早退も多くある先生でした。その先生が欠勤した際は、2人分の担任業を概ね私1人でやることになり、それによって私自身の勤務時間が長くなった面もあると思います。

ただ、そのことについて私は不満・負担に思ったことが、本当に一度もなかったんですよね。その先生自体、とっても一生懸命でいい人だったので、単純に協力的な気持ちだったということもあるかもしれませんが、私がその先生の分まで仕事をすることで「安心してお子さんを見てられる」、「子育てをしやすい環境づくり」に参加しているような気がして、ある種の充実感すら得ていたような気がします。

 

ある時、そのママ先生が早退した日にこんなメッセージのやりとりををしたことがありました。

 

ママ先生「私先生、〇〇の書類の締め切り、今日まででしたよね。家でやるので、ファイル送ってください」

 

私「〇〇、それちょうどママ先生の文までやっときました!お子さんにゆっくり看病してください!!」※送信:20時頃

 

 

しかし、最近になり私も”急に”休む側の人間になると、視点が変わってきました。

要は「自分がやるはずだった仕事を他の人にさせてしまっている罪悪感」をとても感じることに気づいたのですね。

やれるのに、やりたいのにできない、っていうのはこんなにも辛いんですね。

前述した、ママ先生とのメッセージでも、きっと「私のせいで遅くまで仕事をさせてしまった・・・」と思わせた、と。

 

教えてくれたらやったのに・・・と思うことも。

回想は終わって、現勤務校での話。大変ありがたい話なのですが、私が時々、子供の体調不良で休んだ次の日に学校に行くと、机上には「〇〇の事務処理、やっておきました」みたいなメモが置かれていることが多くあります。

本当にありがたい、助かる話なのですが、「その仕事なら家で看病しながらできたな・・・」と思ったりもしてしまう。やっぱり人に自分の仕事やってもらう、ということに慣れてなくて本当に落ち着かないんです。

 

今年度の学年は、LINEすら交換しない状況(グループの中にLINEをしない先生がいたので)で、学校の場以外連絡をとらないので、職場に戻って初めて、「自分が休んでいる間にやってもらった仕事」を知るので引け目が半端ないです。

(前の職場では学年がSLACKでつながっていました。SLACKだとファイルの共有とか送信とかめっちゃ楽ですよね)

いやいや、やってもらって何言ってんだよ、って感じですよね。代わりに仕事をやってくれた先生も、私に気遣って、退勤した私には伝えず、業務を肩代わりする選択をしたのだとわかっています。

 

自分が今後すること

子育てしている以上、年間1度も”急な休み”をしないことは無理なので、少しでもできることを考える。

 

① 割り切って残っている先生におまかせし、他の場面で恩返しする。

 

② 出勤できなくても自宅で少しでも業務ができるように、仕事の内容を自分から問い合わせる。

 

 

子育てしていない頃は、「いやいや、休暇とった職員に仕事の連絡とかしちゃだめだろ」「迷惑とかじゃないしお互い様。やれる人がカバーすべき」とか思ってたんですが、いざ自分が休む側になると、「迷惑かけちゃう・・・」「できることを少しでもしたい・・・」って思うんです。

 

超理想論を言うと、一人急に休んだくらい全然関係なく回る組織ならいいんですけどね。学校ってそういう組織じゃないことは知っているので。

最近の学校系ストレスの一。って話でした。

給特法の改悪について盛り上がっているので現時点での考察

給特法「改悪」!?

Twitterでの教員垢界隈で、盛り上がっている給特法改正の話題。

なんかもし改正されたら50年振りだとかなんとか。

だけど、ものっっっすごい「改悪」なんじゃないか、って話。

 

そもそも給特法って?

文科省のページ(時間外勤務に関する法令上の根拠)

 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/031/siryo/07022716/003.htm

ここに書いてある給特法についてポイントだけ言うと。

 

給特法とは

「教職員は、超勤4項目※において残業を命じて良い

「その代わり給与調整額4%が支払われる(それ以外の手当はつかない)」

 

※超勤4項目・・・①生徒の実習

        ②学校行事

        ③職員会議

        ④非常災害、児童生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合

 

まぁこの中に部活動、とかが入ってなくて、建て付け上は教師の自発的な活動()ということになっているので、実質「法令に定められない仕事はたくさんあって、絶対に時間外労働をしなきゃならない状態なのに、残業代がもらえない」だけの法律になっているので教員界隈は問題視してる、悪名高い法律なわけです。

 

い、一年単位の変形労働時間制導入??

で、今回の給特法改悪の話。

教員界隈が危険視してる「一年単位の変形労働時間制導入」

 

まだ文部科学省内閣府)は法案を提出していないようですが、文科省が出している工程表の中に、たしかに「一年単位の変形労働時間制導入に向けた制度的検討」とあります。(2ページめの真ん中下らへん)

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/hatarakikata/__icsFiles/afieldfile/2019/01/29/1413144_4_1.pdf

 

「一年単位の変形労働時間制」っていうのはつまり、

 

「繁忙期は、忙しいから10時間労働しようぜ」

「閑散期は、暇だから、6時間労働(学校でいうと15時帰り)な」

 

って感じで、1年間で「勤務時間量を均そうね」って主旨だと思います。

 

で、なんでこれが問題なのかと言うと。

 

 

日々の部活動やその他雑務が、がっつり『業務』として命令できる。法律で認められることになる。ってことにあるんです。

 

というのも、前述したとおり、これまでの給特法において、勤務時間外に命じることができるのは、「超勤4項目」だけなんですね。つまり、これまでは、「17時以降の部活動を監督する義務は教員にはない」状態だったんです(でも断れずにやっている教員がほとんどだと思いますが)。

けど、この改正案(まだ正式には出ていませんが)が仮に通れば、正式に残業を命じる(というか時間外じゃなくなる)ので、管理職は大手を振って部活動でも校務分掌でも夕方19時20時まで命じることができるだろう、ってことです。

 

教員として最作のシナリオ

仮に「一年単位の変形労働時間制」が採用されたとして、

「最近忙しいから明日から、19時まで仕事してね〜(その分多めに仕事用意しといたから)。あ、その分、夏休みになったら15時頃帰っていいよ〜。それで1年通してチャラだよね」

が正式に可能になる。これ、ちょっと考えても教員にとってまったく嬉しくないです。

 

だって、今でも夏休みは帰れる日にはどうせ年休使って早く帰ってるんだもん。というか、1年のうち、夏休みしか年休を消化できる時がないですからね。それでもほとんど消化しきれない教員のほうが多い気がする。

 

今でももともと退勤時間+2時間くらいはデフォです。それでも、自分自身で「早く帰る日」と「遅くまで仕事をやっつける日」が多少仕事を配分してコントロールできるだけマシですが、「命令によって退勤時間が伸びる」ってことはそれすらできなくなりますからね。

まぁほとんどの教員は嫌なんじゃないですかね。嬉しいのは仕事をいっぱいさせたい管理職くらい?

 

といってもまだ何も決まってない話

法案がどんな内容なのか?通るのか?通ったらどのように運営されるのか?自治体ごとの判断か?各学校の裁量か?

私の調べる能力が不足しているかもしれませんが、少し調べても、ほとんどその内容については明らかにされていない。決定したことではありません。

 

正直完全実施は不可能だと思う。

 

 仮に法案が通って仕事を命じられても、「どう頑張ってもできない」職員は絶対にいます(子育て・介護)。

私自身ももし退勤時間が19時になったら、辞めざるを得ないと思います。絶賛子育て中なので。

管理職も管理職で、

 

校長「明日から19時退勤時間にします」

ママ教員「無理なので辞めます」

パパ教員「無理なので辞めます」

介護あり教員「無理なので(略)」

 

になるのは明々白々なので、なかなか取り入れづらいでしょう。

また、学校や地域によって業務の内容も様々なので、「一年単位の変形労働時間制」うまく使える学校もあるかもしれません(その場合、管理職にその判断が求められるのがネックですが)。

 

そもそも業務を改善してほしい、ってことなのに・・・

しかし、どこから「一年単位の変形労働時間制」って話出たんでしょうか。もともと、

 

「仕事多過ぎて、退勤時間までに終わらない」 ってのは「仕事減らしてくれ」って意味だったのに、

 

「あ、それなら教員の勤務時間伸ばしとくね(仕事は特に減らさない)」って発想な気がするんですよね。これが、教員界隈から批判が湧いてる原因だと思ってます。

 

悪くなる、って決まったわけじゃないけど

ちなみに、ここまで話したことは、現状ではほとんど推測です。まだ何も具体的なものが役所からは出てきていないので。

これまで学校システムや教員の業務について、文科省には絶望させられ続けてきた教員たち。最悪のシナリオを常に考えるクセがついちゃっていますからね。まぁ反発や不安も当然でしょう。

 

もし環境が悪くなったなら、自分が壊れる前にみなさん辞めましょうね。

 

逆に、環境よくなるかもしれないし、現時点であれこれ考えてもしょうがいないような気がしている私でした。