グレ教員の日々の感想

学校嫌いな小学校支援学級教員。日々の思いを忘れないように書くブログ。子育て、学校、読んだ本とか。専門は発達障害支援。

「理系が得意な子の育て方」を読んだ感想

あけましておめでとうございます。
 
新年1発目の記事ですね。
と言っても、そんなに頻繁に更新しているようなブログではないのですけどね。
2020年も同じようなペースで感想記事と雑感記事を投下していければいいかなと思っています。
 
今日は一冊読んだ本の感想。
 

 

10億件の学習データが教える 理系が得意な子の育て方

10億件の学習データが教える 理系が得意な子の育て方

  • 作者:今木智隆
  • 出版社/メーカー: 文響社
  • 発売日: 2019/11/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

1.本の概要

1-1.作者の背景

著者はRISU Japan株式会社(以下RISU)代表取締役の今木智隆さん。
RISUはタブレットを利用した小学生向けの算数教材を販売しているみたいです。
様々な算数のデータ分析をもとに最適化された算数教育を売りにしているみたいですね。
 

1-2.主題

1章では、「やってはいけない算数教育」についての例をあげ、子どもが算数でつまずきにくい算数のより最適な学習法を提案するとともに、具体的に提示しています。
2章では、算数のおさえるべき内容(つまずくポイント)を4つに分類し、それぞれ有効な学習法をしています。
3章では文章題についての考え方を。4章では「理系に育てると人生で得すること」をまとめています。
本全体を通して、RISUの教材がいいものだよ、って話がちょくちょく出てきます。
  

2.本の感想

 

2-1.本の出会い

ずっと気になってたんですよね・・・。
この本というより、自分が小学校で勤めるようになって、「みんなそれぞれ習熟度が違うのに、みんな同じ勉強をしている」ことに。
前の記事でも少し触れましたが、「わかっていないのに次の段階に進んでいる」子が一定数小学校にはいます。この子達って問題が小学校で顕在化すればいいんですけど、多くは中高でつまずくだろうな、ってくらいの際どい水準の子達なんですよね。後述しますが、この本でも書かれている通り、小学校では【理解していなくても】テストでそこそこ70点くらいの点が取れてしまいますからね。
 
まぁそんなこんなで【算数の教え方】が学校だけでは不十分というのはわかっていましたので、それについての本はちょくちょく手にとっていましたので、この本もその1冊ですかね。がっつり読んだのは、この本があまり複雑に書いていなく、わかりやすかったからですかね。
 

2-2.タイトルで勘違いしちゃうと勿体ない。

本のタイトルは「理系が得意な子の育て方」とありましたが、内容は「わが子を【算数が苦手】にしないために」みたいなことの方が正確かな~、と思いました(いや、センスないとか思ったら聞き逃してね)。まぁ突き詰めれば一緒なんですけどね。この本って、難しいことは書いていなくて、中学受験とかするような難しい算数のことではないんですよ。「【算数の基礎】をしっかり理解させようね」「そのためには○○のような学習はしないほうがいよ」っていう内容だと解釈しています。つまり、ほとんどの小学生にあてはまる内容かな。タイトルを「理系の得意な~」にしたのはどういった意図なんでしょうか。「別に【理系】とかどうでもいいし」っていう保護者の方は手に取らないかも、と思ってしまいました(本を手に取ってほしい人たちはむしろそっちなのでは?)。
 

2-3.小学校教師にとって残念な真実

 
1章では、算数の『残念な真実』と称して、15個の算数苦手になる項目を提示しています。
その中で1つ印象に残ったのは
 
『算数嫌いは「算数を教えるのが得意」な先生のもとで生まれている』っていう項目。
 
この項目では先生と児童へのアンケートの集計から、「算数を教えるのは得意と思っている」先生が多いのに、「算数が苦手だと思っている」児童が多いことをあげ、先生が子供たちの理解していないことに気づいていないのでは?という仮説を提示しています。解決策として本書は「算数を学校に任せきりにしない」を提示しています。
 
正直、「ギクッ!」です。私も算数は得意で、算数を教えるのが得意だと思っていたのですが、個別指導したときに、「あれ?全体の説明では子どもが理解していないな?」ってことが多々あり、今一度自分の指導を見直そうと思いました。
 
他にも、「宿題をさせると子供の学力は下がる!?」や「テストが毎回70点の子が[算数苦手予備軍]」などの項目があり、学校のシステムは最適じゃないことを暗に指摘している内容かと思います。
 

2-4.【保護者の方へ】「学校任せにしちゃだめよ。」

 
全部読んだ上で、私は算数教育についての考え方は本書に概ね同意します。
 
今の小学校って算数については本当にレベルが低いと思っています。というか、算数を学ぶことだけでいうと一番よい環境ではない。前の記事で書いた、「教員のスキル」もさることながら、システムがよくない。系統的に学習できるようになっていないんです。
本書の例でいうと、2年生で「位の概念」を理解しきれなかった子どもは、「小数」の概念がでてきたときに間違いなくつまずく。本来、つまずいたときには前の学年の単元に戻って学習すべきなんだけど、そういったことはできない。なので、一度つまづくとつまづきつづけることになります。そして、小人数指導などがない限り(あっても大したことはできないでしょう。その学年の学習はやらされますからね)その子たちは放置されます。
 
何が言いたいかというと、小学校に算数任せちゃだめよ、ってこと。
 
怖いのが、「理解できていない」ことがわかるのが、「つまずく」ときで、そこには時間的なラグがあるんです。(ex.2年生の内容を理解していなかったので3年生でつまずいた)小学校の単元テストっていうのもめちゃくちゃ問題で、理解していなくても点数が比較的出るような形式になっているので、理解していないことに気づかないんですよね。理解しているかどうか、は保護者がその子をしっかり見ていく必要がありますよ。

2-5.先生にできることはあるか?

直接的な表現はなかったものの、学校の算数に対して、厳しい指摘をしてくれている本じゃないかなあ。じゃあ先生たち、学校って何かできることあるの?ってことで。
 
まぁ担任の先生がどれだけ「子供が理解しているか?」の判断に意識を割けるかじゃないですかね?実際は必修内容に対して時数が少ない印象を受けるので相当難しいと思いますが。
あとは、しょうもないことで「算数嫌いにしない」意識を持つことは重要かもしれないですね、せめて。
 
典型的な例を出すと、「掛け算や足し算の順序指導」ですよね。私はあんなもの愚の骨頂だと思っていますが、Twitter界隈見ていると、「『掛け算の順序が違う』ことで×をつける」先生がいっぱいいるようですね。その指導で得られるリターンよりも『子どもが【算数嫌い】になるデメリット』の方が大きいことを考えないのでしょうか、って感じですね。
 

2-6.RISUについて

最後に。正直RISUの教材の宣伝が半分くらいなのかな、と思います。
RISUのホームページを拝見しましたが、個人的な感想を言えば「効果が出るなら高くはないけど、安直に始めるほど安くもない」という感じです。
まだ子供が小さいので現状考えていませんが、就学が近づいたら算数教材の選択肢のひとつとなりうるかもしれません。
 

まとめ

・家庭での算数の指導について重要なことは書いてある。未就学~小学生の保護者は全員読んで損なし。
・小学校の先生は読んでおくと普段の指導が変わると思う。
・教材についてはやってみないとわからない。保留。
 
 
 
 

小学校の全教科担任制という運ゲーが理不尽すぎる件について

小学校の先生ってあたりハズレあるよね。

同じ学校の同じ学年なのにクラス違っただけで与えられる教育の質が違うの不公平過ぎない・・・?

 

 

休みは過ぎるのが早い・・・。

 

2019年ももうすぐ終わりますね。普段忙しい生活を過ごしている教員・学生のみなさんいかがお過ごしでしょうか。

 

 グレ教員は冬休み、年休を使って平日休みを2日ゲットしましたが。うちは子供が小さいので休日は休日で大変ですね~。普段の週末の休みと違って、どこ行っても混んでるしね。また、違う業種の妻は出勤なので育児家事も全部やってると一日があっという間に過ぎていきます。これを毎日やっている育休中や専業シュフの方は本当にすごい。正直専業主夫より教員やってるほうが楽までありますよね。

 

2019年の環境の変化


 さて、グレ教員が今年度、初めて小学校に勤務するようになって9ヶ月が過ぎたわけです。学校視点でいうと1学期、夏休み、2学期が過ぎたことになります。
 私は特別支援学級の担任なので特支の子どもたちに指導を行っているわけですが。特別支援学級担任の仕事といえば、私が直接子供に指導することももちろんあるのですが、特支の子たちが通常学級に入って学習しているのを、そばで支援することも同じくらい多くあるんですよね。小学校の特別支援学級は、子どもたちの学年はまちまち(1〜6年まで一人ずついることだってある)だから、必然的にいろんな学年のいろんな学級のいろんな先生の授業の場に居ることができるんです。授業の多くは支援学級のこどものそば(遠くで見守っていることもあります)にいるわけで、「授業を受ける側の視点」で授業を見る時間がすごく増えたっていうのがここ数か月の私の環境の変化です。
 まぁそんなこんなで小学校に入って思ったことを一つ。うちの勤務校を見たグレ教員の主観です。n=1。α=.03。


こども目線で担任に「あたりハズレ」があるという事実

私ね。いろんな学級で子供のそばでいろんな先生の授業受けてて気づいたんですよ。「教員間の指導スキルの差がでかすぎる」ことに。
不快に感じる人もいるかもしれないが、こども目線から見て、その年の「担任の先生のあたりハズレ」は間違いなくあります。これは、どういった先生を「あたり」と思うか「ハズレ」と思うかはこども(の親)それぞれによって違うと思いますが、絶対にあります。
 今回、私は「学習指導スキル」だけに絞って話すんですが、学習指導においては「あたり」と「ハズレ」と言っていいくらい「できる先生」と「そうでもない先生」の差がでかい。


で、ですね。別にグレ教員は「ハズレ」の教員を否定したいわけじゃなくて。いや「ハズレ」って言葉使ってる時点で苦しい弁明なんですけど。
要は「相対的にスキルの低い先生」って当然いるわけじゃない。それはしょーがない。経験年数とか、これまでの経歴とかいろいろあるから。(あたりまえですけど経験浅い人は相対的にはスキル低い可能性が高いと思います。めちゃくちゃ努力したり資質あったりで初っ端からスキル高い初任もいるんでしょうけどね。)
ただ、先生のスキル差はあるにしても、教育インフラである公立小学校において、ひとつ名簿がズレて隣のクラスなだけで、受ける教育の差が違いすぎるのどうなのかな、って思うわけなんです。
いや、しょーがないよ、って言われればそうなのですが。納得できない部分も市民目線はある。


「教師一人一人のスキルアップを目指す」という解決策は現実と離れている


残念ながらね。

一般の人からしたら「いや、お前ら教師の質を上げればいい話だろ」っていうのが普通な意見かなと思います。
おっしゃるとおり、本当は我々教師が常に勉強し続けて技術や知識を磨いていければ一番いいんですけど。でも、実際の業務の中で全教員対象の研修やら研究って残念ながらほぼできないんですよね。勤務時間内だと日々の業務を回すだけでやっと。つまり「教師のスキルアップ」の多くはそれぞれ先生方の日々の努力にゆだねられる訳です。ってことは当然そこにスキル差は生まれる。

努力できる先生は休日や空いた時間を使って自己研鑽をするが、それができない先生はスキルがなかなか上がらない。(できない理由はいろいろあります。その人たちを否定したいわけではありません)「努力している先生」は授業を見てればすぐわかります。発問のひとつひとつ、端々に出ますからね。


 新規採用から1~3年目くらいまで、業務としての研修の機会が設けられている自治体が多いと思いますし、そこで意味のある研修が行われていればスキル差は埋めることが理論上できますけど。現実としては全教科の指導スキルをあげるだけの研修時間と内容がとられているかといえば、まぁ無理でしょ、っていうしかないですね。 


 そして私が気になるのは研修を少し昔に終えている、中堅~ベテランの先生ですよね。誰かに授業を見てもらう機会もなくなった先生。経験値、っていうのはやっぱりそれなりに強いのですが、本とかニュースとか、最新の情報に触れていない先生はすぐわかりますよね。「いつの時代の話をしとるんや・・・」みたいな。
 この年代こそ努力している人としていない人の差も大きいような気がしています。

 
スキル差対策として「教科担任制」を見ると・・・


そんなこんなでこれまで何十年とやってきた小学校の担任制。これはとても教育を受ける側からして、とても不公平な制度だと私には思います。児童側には担任を選ぶ権利はないですから。
 しかし、小学校にも教科担任制が採用されそうな動きです。(一部の小学校ではすでにやっているとか)「算数」なら算数担当のA先生が、「国語」なら国語担当のB先生がクラスに来て学習指導をする感じでしょうか。中学校や高校と同じようにするってことですよね。

https://www.mext.go.jp/content/1422644_002.pdf

義務教育9年間を見通した教科担任制の在り方について
(論点)より引用
1.小学校における教科担任制の導入により,教材研究の深化や授業準備の効率化による教科指導の専門性や授業の質の向上,教師の負担軽減が図られ,児童の学力の向上,複数教師による多面的な児童理解による児童の心の安定が図られるとともに,小中学校間の連携による小学校から中学校への円滑な接続などが実現できる。義務教育9年間を見通した指導体制の整備に向けて,小学校高学年の児童の発達の段階,外国語教育をはじめとした教育内容の専門性の向上などを踏まえ,小学校高学年からの教科担任制を本格的に導入すべきである

 


小学校高学年から、ということですが、私はこの改革に対して比較的ポジティブな印象を受け取ってます。
複数の教員に教わることによって、各クラスの受ける教育を均すことができ、「ハズレ」クラスをなくす効果もあるのかな〜と思ってます。


※教科担任制の本来の目的はより専門性の高い指導を児童に行うことですので、私が述べている効果は私が勝手に期待していることですよ、そこんとこ間違えなく。。
 

できない子ほど「ハズレ」を引いたときのダメージがでかい


「そもそも小学校の担任に勉強は期待しない」「そもそも学習の責任は家庭であるべき」などという意見もあるんですが、それはその通りです。学習を「学校に任せきり」など親は絶対してはいけません(確信)。
 けど、なかなか学校以外で学習できない子ども・家庭が一定数いるのも事実です。私も指導スキルの低い先生の授業を後ろで見させてもらうことがあるのですが、見ている限り、勉強が得意なことたちにとっては、さほど問題にはなりません。きっと家庭や学習塾などを使って、その担任のスキルにかかわらず学習を習得していきます。

 ただ、勉強が得意でない子たちは、教員のスキルの低さは大ダメージを与えます。勉強の内容がわからないこともさることながら「勉強はつまらない」という意識を小学生段階で強く思わせてしまうのが一番の懸念事項です。そういった子たちは家庭での補教も難しいことが多く、一度つまらないと思わされたダメージは担任が変わっても引き継がれるのではないかと心配します。


ドリーム学校はないからこそ。


今の公立小学校の採用システムや異動システムでは「あたりの先生」だけで構成されたドリームチーム、ドリーム学校は存在しません。これは会社やスポーツチーム、どのような組織でもそうだと思いますが、ことさら学校においては、どうしても相対的に学習指導スキルの低い「ハズレの先生」もいると思います(それは私自身が「ハズレ」に位置することも当然あると思います。そうならないように日々努力しているわけですが)。だからこそ、できる先生が、そうでない先生をカバーできるような仕組み、組織全体で子どもへの不利益が最小限になる方法を考えることもあっていいのではないか、、、と思った次第です。

 

2019年の最後の記事になると思いますが、私の中での2019年総括として、ひとつ無益な雑記を述べさせていただきます。

 

よいお年を。

2030年の世界地図帳 を読んだ感想

 

2030年の世界地図帳  あたらしい経済とSDGs、未来への展望

2030年の世界地図帳 あたらしい経済とSDGs、未来への展望

 

 

 
本1冊読めたので更新。
落合先生の最新作ということで早く読みたかったのですがなかなか土日も風呂敷残業&家事育児で長い間読めずにいましたが、通知表評価なども終わって落ち着いたので。
 

本の概要

現状のテクノロジーの発展を基に、著者の予測する2030年より先の世界の様子を書いています。主にテクノロジーの現状と人口動態を予想の根拠にすることで、かなり信頼性の高い予測をすることができています。ここ数年のGAFAM(Google Apple Facebook Amazon Microsoft)の台頭と影響力からしても、テクノロジーの所有量と分析力により社会構造や権力の源泉の未来予測が可能になってくると著者は主張しています。
 
実際に「2030年の世界地図」も多数乗っています。現時点での予測、たとえばGDPでは中国がアメリカを抜いて1位に。インドが日本を抜いて3位に(日本は4位)になる」や、「国内では2025年に都市への人口集中がピーク。2030年から全都道府県で人口減少が始まり空き家率が急増する」など。
 
そして本書全体を通して著者が中心に置いている概念が著題にもある「SDGs」です。
SDGsとは「持続可能な世界」を掲げて国連で全会一致で採択された概念.
SDGsのポイントとしては「2030年の達成、具体的な数値目標があること」「貧困やジェンダー。労働問題など17のゴールがあること」など。
 

 

SDGsを労働や人口動態に絡めていくことで未来予測をしやすくしているようでしたね。SDGsは世界が従っていく流れになるので、諸外国の動きが読みやすいってことなのでしょう。
 

本の感想

う~ん、難しい!!

読んで最も率直な感想としては「難しい」です。近年の社会情勢だけでなく、近代の世界の歴史を前提にした話題も多く、多少それらを抑えていないと理解が難しいかもしれません。ある程度の基礎知識が必要です。
そもそも落合先生の本は、注釈が多かったり難しい言葉が多いので本書に書いてあることをすべて理解しようとすると普通に読むと相当な時間がかかると思います(日常的に経済や社会情勢、政治に感度が高い人は除く)。
私自身も多分本書に書かれた内容の半分も理解していないとは思いますが、大局観をもてればいいや、読んでいてわからない箇所はある程度とばしながら読んでいました。
読んでいて新しい知識や視野を得ることはできました。が、あらゆる人におすすめできる本ではないかもしれません。理由は言った通り難しいからです。
落合先生のことを知らない人に何かひとつ本を紹介するなら「ゼロヒャク」の方をおすすめしますかね。

 

 少し落合先生の好きな部分が少ない・・・

落合先生のファンであることのひとつに、「日本の成長のポジティブな提案」をどの本でもしてくれるからであります。いわゆる知識人のみなさんの本のまとめでは「日本はオワコンだから、期待せずに個人で生きろ」みたいなのが多い気がするのですが、落合先生は日本の暗い未来の中にも「日本なりの成長の仕方」を提案してくれていて、少し前向きになれるところが好きなのです。が、本書ではそんなに未来への希望みたいな話はなかったような気がします。主は未来予測の分析にとどまっていて、なら我々はどうすればいいのかな、っていう気持ちが残ったまま本を閉じましたね。
まぁそれは私が勝手に思っているだけなので、落合先生がこの本で伝えたいことは、世界の大局観を理解してほしい、ってことだろうと思いますので。
 
 

学校現場に思う。

 
最後に
落合先生の本を読むたび思うのですが。

本を読んでいて、ふと小学校現場に目をやると、これでいいのか、って思いますよね。

これだけ世界は数年前の常識と異なっていて、これから先、大きく変化することがわかっているのに。

義務教育の学校現場は20年前とほとんどやっていること変わらないですからね。
みんなで同じ部屋に入って、鉛筆とノートで黒板写して・・・。
 
自動運転 
AIへの労働代替、農業などもAIへ
マレーシアのクアラルンプールのシティブレイン計画 
アフリカのケニアでのファーウェイのセキュリティシステム。
 
本当に10年前からは信じられないくらい世界でのテクノロジーは発展しています。
 
新しいものを受け入れ、既存の概念を打破していかなければならないこの時代に、「個人を集団に合わせること」が根底にある義務教育のスタンスには不安を覚えざるを得ません。
 
学校の先生は難しくても落合先生の本1冊くらいは読んでもいいんじゃないですかね。そういう人が増えるとめちゃくちゃ少しずつ変わっていく・・・?少しずつだと遅いんですけどね。笑
余談ですが、前に働いてた学校の話で、10人くらい先生がいる場所で当時読んでいた本の話したんですけど、落合先生の名前知ってる人一人もいなかったんですよね。メディア露出も多いし結構有名人だと思っていたのですが。先生方の興味ある分野じゃないってことですかね。
 
まぁ個人の動きとしてはアンテナ張って固定観念にとらわれないムーヴしていきたいですわ。
 
 
初めて知った言葉1個だけ。
 
破壊的テクノロジー・・・iPhoneの登場のように、これまでの概念を一掃するほどのテクノロジーのこと。
 
 

『「家族の幸せ」の経済学』を読んだ感想

 

「家族の幸せ」の経済学 データ分析でわかった結婚、出産、子育ての真実 (光文社新書)
 

 

久しぶりに読んだのでレビューまとめです。

 

最近は土日にまとまった時間がとれなくて、あまり本を読めないでいました。

 

なんか私、平日の隙間時間で本読めないんですよね。集中できないというか。

今回の本は妻が読んでいて、勧められたので子供が昼寝したすきに一気読みです。

 

本の概要

 

結婚、子育て、離婚など、いわゆる「家族の幸せ」について経済学的視点から分析したものをまとめた本です。

経済学なので、考察のベースは統計データなのが特徴です。

注意しなければいけないのは、データはほぼほぼ海外の大学のデータを参考にしていることです。これは、当然といえば当然で、日本でこの手の研究って大規模なものは少ないらしいんですよね。予算の問題や倫理的な問題(日本では、家庭の収入調査したり離婚歴なんちゃらなんてなかなかハードル高いですよね)ですけどね。なので、特に家族に関することって国の文化にとってもかかわりますからね。あくまで参考ってことになると思いますが。

 

本の感想

気になった点を各章より。

 

1章 結婚の経済学より

結婚の経済的メリットは『節約』『分業』『リスク分散』

「子をもつこと自体は経済的にはデメリット」。

 

子をもつことが経済的にデメリットなのは身をもって承知済みです(笑)貯金とか家庭資産の伸びを、子供が生まれる前と後で比べたら一目瞭然です。

 

それ以上に感じる幸せ、はデータではわかりませんけどね。

私は、、、どうかな。2歳になる息子はとってもかわいくて毎日楽しいんですけど。ただ、この先、どう感じるようになるかはわかりませんね。

 

 

3章 育休の経済学 4章 イクメンの経済学より

 

日本の育休制度は、「雇用保障(クビにならない)」「給付金」の面で先進国の中ではトップクラスにいいらしいです。でも、男性の取得率はめちゃめちゃ低い。

 

アメリカなんか実質育休はとれない、ってくらいの制度設計であると筆者は語っています。まぁアメリカは雇用の流動性が高く(一度会社辞めても次の会社に就職できる)

ただ、日本の慣習的に男は育休をとる雰囲気まだまだない。

ちなみに海外の先行研究では、

アイスランドの研究では、男性の育休取得をするほど離婚率が低くなる研究。

スウェーデンの研究では、男性の育休制度を整えたことによって離婚率が上がったデータもあるそうです。著者は、育休に入り、家族の所得が減ることにより余裕がなくなったため、としているそうです。

 

 

男性教員のみなさん育休とってます?

私も妻と相談して、一度育休を1年間とりたいと思っています。

正直、家事育児に専念するのってめっちゃ大変だと思います。私も今年度、妻とはじめて共働きになって、育児家事と仕事両立するようになって、育児家事の大変さがやっとわかりました。育休で本業として家事育児に携わることによって、より家族に対して真剣になれるのではないかと思っています。

 

5章 保育園の経済学より

 

シカゴ大学のジェームズ・ヘックマン「幼児教育の経済学」の紹介。経済学の怪物って言われているらしいです。

このヘックマンの幼児教育の効果を調査する研究が紹介されてるんですけど。就学前の幼児に「就学前プロジェクト」で教育を行ったらしいのですが、なんとその後40歳(!)になるまで追跡調査を行ったらしいです。この根気。すごいですよね。日本の大学ではこんな予算はつけられないですよね。

ちなみに、知能などに幼児教育の効果が現れるのは、小学2~3年までで、そのあとは差はなくなるらしいです。

が、40歳になったときの追跡調査によると、小さい頃に幼児教育を受けた群のほうが所得・生活保護取得率・逮捕率ともによい効果があったことを報告しています。特に、所得的に恵まれている層よりも、経済的にあまり恵まれていない群に効果があったそうです。

 

 

なんか日本でもこういった研究やればいいのに。って思いますね。

 

まとめ

まぁいつものようにまとまらないまとめ。個人的には、信頼性ない経験論を考えのベースにされる話よりも、海外のデータでも客観的指標があったほうが「参考にしよう」という気になります。普段の職場で「先行研究」とか「データ」をもとに考えて行動する人に会わないから、よりひかれるかもしれませんね。

主婦をサラリーマンにたとえたら想像以上にヤバくなった件を読んだ感想

専業主夫はてなブロガーの河内瞬さんの著書。
 
河内さんのブログははっきり言って大ファンで、この本も発売と同時に即買いました。kindle版も同時出版ありがたい・・・。

 

主婦をサラリーマンにたとえたら想像以上にヤバくなった件

主婦をサラリーマンにたとえたら想像以上にヤバくなった件

 

 

本の概要

著者の河内さんは、サラリーマンから専業主夫に「転職」した自身の経験を生かした記事を、ほぼ毎日更新のブログで発信しているはてなブロガー。
著書の内容は主にブログの主たる発信をまとめたものと言えます。
ではそのブログのメインテーマは「主婦の仕事の大変さ」をです。ただ、河内さんの「男の目線が入った話」や「おもしろいミニマンガ」が毎回入っているのが特徴で、主題の興味以上にとっても惹きつけられる魅力があるブログです。
おもしろいのが、著書名にもある通り、「主婦(家事)業を会社にたとえると」・・・のくだりはハズれなく秀逸で。マンガ入りの「部下(子供のたとえ)がタスク(掃除洗濯炊事のたとえ)の邪魔を際限なくしてくる」描写は、なかなか想像しにくい家事の大変さを一発でわからせてくれます。
 
 

本の感想

 

結婚してる人、予定がある人、男女問わず全員読んでほしい・・・

 
もちろんブログを毎回チェックしている私からすると、「当然予測できていたこと」ですが、控えめに言って最高の本です。令和のこの時代、この先結婚をしている、する予定のある人は一度は読んでおくべき内容だと思っています。
 
まず、専業シュフがいる家庭の方、特に刺さると思います。そしてシュフ側ではなく、外で稼ぎを得ている側が必ず読むべきです。毎日、「オレが稼いでやってる」とか「ずっと家にいるのにこんなこともやってないのか」とか思ってませんかね。この本読んだらそんなこと言えなくなりますよ。
共働きの家庭にも参考になる部分は多いと思います。共働きでも家事は当然あるわけですから。日本は共働きであっても家事が女性に比重が寄っている家庭がいまだに多いようですからね。因みに我が家は共働きですが、私自身はこの本(ブログ)の内容に大きく影響を受けています。本出版にあたって、妻にも
 
結婚する予定の人や、育児業などがひと段落した人も読んでほしいですよね~。日本はまだまだ子育てしている家庭にやさしい社会ではないですから。少しでもその大変さを理解できると、やさしくなれるのではないかと思います。
 
 

河内さんのブログに影響を受けた部分

 
一番は「シュフの時間はパートナーにしか捻出できない」
この件、本当にやってみるとその通りなんです。これ、多分だけど「一度家事をすべて引き受けてみないと理解できない。」ことなんですよね。
 
私も河内さんの子の主張を読んでから、少なくとも土日のどちらかは必ず、「子供を預かり、家事を
すべて行う」ようにしています。それをすることで、妻は1日フリーな時間を過ごしてもらいます。
妻が育児休暇をとっているときはなるべく土日両方。妻が職場復帰して共働きになってからは、相談して、妻と私、土日のどちらかは1日フリーになれるようにしています。日中、家族3人ででかけることが結構減りましたね。そして「そのほうがいいな」と思ったりもしています。
深くは書きませんがやってみるとわかります。
(土日部活の先生たち・・・私は貴方の「家族のこと」を心配しますよ。なんてね。)
 
本では子育てに関することが多めですけど、ブログは毎日更新に近いのでいろいろ共感できることや、自分と違う視点得られて楽しいですよ。

まとめ

簡単ですがレビューでした。
オススメです!
 

【認定試験】全員合格叩きは不当だと思う。

教免の試験が『全員合格』!?

台風、大変でしたね。被害にあわれた方々には心よりお見舞い申し上げます。
 
私も関東在住なので、昨夜は怖い思いをしながら過ごしましたが、事前の対策も講じて、幸いにも殆ど被害なしで済みました。ライフラインも我が家においては異常なしです。(近隣の住宅では停電等はあったそうです)
 
 
さて、台風の影響で、昨日10月12日(土)に行われる予定だったイベントが全国的に中止もしくは延期になっていたと思います。
 
その中で話題になっているのが、「小学校教員免許認定試験(2次試験)」。
 
台風で流れるのは仕方ないのですが、その試験の扱いが「受験者全員合格」という判断になっていて物議を醸しております。
 
以下記事引用

 小学校教員資格認定試験は、教職課程を履修していなくても、教諭資格を得られる制度。二次試験は12、13日の2日間予定されていたが、「気象状況、鉄道等の交通機関の運行予定等を踏まえ、一部の会場で受験者及び運営職員の安全が確保できないことから、全会場で2日間とも中止と決定しました」と発表された。そのため、受験予定者は特例として全員合格にするとした。

   今回の決定にツイッターでは「延期じゃないの?」「普通延期でしょう・・・」と疑問視する声が相次ぎ、教員の質の低下を招くとの指摘も出た。

   今年度の出願者は917人。マークシートによる一次試験を経て、二次試験では、筆記、実技、口述試験が予定されていた。三次試験(指導の実践に関する事項に係る試験)は11月中旬に行われ、合格すれば小学校教諭の二種免許状が授与される。

   過去5年間の合格率は11〜14%で推移。試験実施事務は2018年度から文部科学省に代わり教職員支援機構が行っている。

 

 

実は私も過去にこの試験によって2種小学校免許をゲットしております。(そして、現在小学校教諭)それもあって、今回の処置への叩きが少し不当に感じることがあったのでここに考察を落としておきます。
私が過去に教員免許認定試験を受けた時の記事
 
結論から言うと、今回の運営の処置は「妥当」だと考えています。以下理由を述べていきますね。
 

不慮の「災害」であること

まず、今回の試験は遠足とか運動会とかじゃなく、雨天実施の「試験」です。基本的に予備日等が設置されるものではないってことです。
そのうえで、当日実施できない「災害」がやってきた。突然です。この上で、当日の試験ができない場合の処置をどうするか、運営側はとても迷ったと思います。今回の処置が「苦渋の選択」であったことは紛れもないでしょう。
前提として、「想定の範囲外の仕方ない状況」であることは頭に入れる必要があると思います。
 

「延期」という選択は?

結論から言うと、現実的に考えると「ありえない」と思います。この試験(特に2次試験)って、見た限り実施めちゃくちゃ大変なんですよ。実技があるのででかい体育館をおさえなきゃいけませんし、人員確保(私が受験したときは東京学芸大学の学生だと思われる方がたくさん協力してくれていました)しないといけませんし。
急に「台風で試験飛んじゃったね。じゃあ来週やりま~す」なんてできるものでもないです。あ、あと全国同日実施なのに会場めちゃくちゃ少ないです(全国で6か所!)。各会場でも地方から前泊してる受験生とかザラだと思います。事前に予備日の告知もなく、受験生900人を振り回す「延期」なんて簡単にできることではないかと思います。
ちなみにこの試験には3次試験があり、その日付が決まっています。2次試験と3次試験の間で、新たに日程をとって合否判定して、各受験生に通知して・・・が現実的じゃないのは運営側の視点になればわかると思います。2次試験「全員不合格」はもちろん無理ですね。これは受験生側の視点になれば承服できるものではないですからね。
 

『全員合格にしたら、教育の質ガー!!』

教育の質による影響、ないです。笑。
 
まぁそれは言いすぎだけどそれでも「ほとんどない」レベルだと思う。私がそう思う理由は大きく以下の2つ。
 

①教員採用試験ではないから

まず、この試験ですが、「教員免許」を取得するものであって、「教員として雇われるかどうか」の試験ではないのです。正規の小学校教諭になるためには、各自治体が実施する「教員採用試験」に合格しなければならないのです。そして教員採用試験が「全員合格」になることは台風であってもそうそうないと思いますので。それとごっちゃにしている人が多いな~、とは思います。
 
正直、今の「教員免許」って「教員としての質」を保証するものになっていないと思いますよ。教育の質を言うなら「認定試験」そのものの是非に言及するならまだわかりますけどね。
だいたい、今は免許なくても教壇に立っちゃう時代です。本校でも「中高の免許しかないけど臨時免許で小学校の担任(講師)をする」とか平気で行われているし、ほかの自治体でも少なからずあるでしょう。
教育の質を「試験」に求めるなら教員採用試験以外意味がない、と私は今の教育界の現状みて思っています。
 

②3次試験があるから。

実はもともと教員免許(中高)を持っている人は「3次試験(正確には「指導の実践に係る試験」)免除」になっており、2次試験をパスすれば小学校免許ゲット!となるわけですが、そもそも教員免許を何かしらもっているので、この試験の結果がどうあれ教員にはなれる状態なんですよ、その人って。
そして、教員免許をもっていない人は3次試験があります。この試験が実は一番「教育の質」に関係するような内容になっているので、一応「最後の砦」がまだ残っている状態です。
 
あと、2次試験の内容って、実技とかあって重要ではあるんですけど、対策すれば難関ってほどではないですし(少なくとも小学校で働きたいならこれくらいできてほしいってレベル)、1次試験のペーパーの方が難しいと思いますけどね。
 
 
引用させていただいた報道では上記の点は言及されていないですけど、教育叩きたいだけ、あるいは取材不足かな~、と思いました。
ただ、この点は教育界にいないとわかりにくい構造であることは否定できませんので、一般の方が叩きたくなるのはわかりますけどね。
 

結論は?

まとめると、私は今回の全員合格処置については
「全員合格は仕方ない!」
「教育への影響は、ほとんどない!」
と思ってます。
 
もちろん色んな考え方や視点あると思いますので、全然違う意見もいっぱい世の中にあるでしょうね。その人たちの不安や懸念も間違っていないとは思います。
そもそもこの「一発試験で教員免許がゲットできる」試験の是非自体が議論されるべきものではあると思いますし。ゆっても私自身ちゃっかりこの試験で小学校免許ゲットしていてなんですが。
 
ただ、今回、認定試験の運営殴られまくりなので少し書いてみました。運営の皆様、判断困ったと思います。本当お疲れさまでした。
 
 

【小学校】運動会のダンスって要らなくない?って思った話。

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先日、今の職場で初めての運動会が終わりました。
当日はそこそこ私自身も楽しんで参加できたのですが、当日までの1か月の練習期間は地獄でした。
特別支援学級の子は、運動会が苦手な子が多く(体力がない、非日常が苦手)無理させたくないのが本音なのですが、運動会という全校の場で失敗させたくない、っていう思いもありますので、かなり気をつけてサポートしていました。
さて、特別支援学級担任は、運動会の練習の指導に主で立つことはないので、運動会の練習の様子を比較的客観視できた気がします。
 
その中でふと気づいたことがあるのですが、本校の運動会でどの学年も発表していたのが「学年全員でのダンス」。
私、このダンス発表が運動会にいらないんじゃないかと思ってしまったんですよね。今日はそんな話をつらつらと。
 
※この記事で述べることは、すべて、「私の勤務校に限った話」であり一般化するつもりはありません。いろんな学校の状況ややり方があると思うので、「ダンス発表」そのものを否定したいものでもありません。あくまで自分視点での所感。
 

ダンスがいらないと思った理由。

①練習が大変でイライラする。

まず教師側なのですが、ダンスの考案(曲決め、ダンスの振り付け、隊形)がまず大変。その後、子供たちに指導するのが本当に大変。それぞれ習得のスピードが違う100150人くらいに一斉にダンス教えるのとかやばい。
そして子ども側もめちゃくちゃ大変。春運動会・秋運動会どちらにしてもだいたい1ヶ月そこらしか練習期間がなく、毎日のように1日1時間~2時間以上、場合によっては夏休みなどのダンス練習を強要される。練習期間がないのでハイペースになるんですよね。踊るのが好きな子はいいが苦手な子にとっては苦痛でしかない。
 
練習が大変であると何が起こるかというと、子供も大人もイライラします
練習中、隊形移動がうまく覚えられなかった子供に対し、別の子供が「ちゃんとやれよ!」みたいな強くあたるのを何度も見ましたそして何より、運動会練習中の先生たちの子供たちに対する怒鳴る回数と多さといったら。時間も限られていて、広いグラウンドでやっているから怒鳴りたくなるのもわかりますが。子供たちだって全員がやりたくて
やっているわけじゃないのですから。暑い中我慢してやっているのに、怒鳴られたりするわけですからまぁやってられませんよね。
面白いのが、「綱引き」や「リレー」みたいな練習では教師の怒鳴り声って激減するんですよ。教師が怒鳴ってるのはだいたいダンス練習の時。
 

②子どもの自主性が入り込む余地が少ない。

秋運動会の場合、だいたい夏休みに学年の先生たちが相談してダンスの振りや曲を決めるため、子供たちがこんなダンスをしたい!という気持ちが入りにくい。
自主性が入りにくいってことは、子供たちからすると「やらされてる」感が強くなるってことです。学習はすべて共通なのですが「やらされる」感が強くなればなるほど、その習得の効果は薄くなります。
 

③現状子どものためよりも親のため、になっている

ダンス練習をしていると、ダンス担当の先生自身が子どもたちに「お父さんお母さんを驚かせてあげましょう」とは言うのですが、「これをすればあなた自身に〇〇の力がつきます」とは言わないんですよね。このことから、運動会のダンスというのは「観客に喜ばせるためのもの」が本質だと思っています。
そんなんだから、運動会のダンス指導といえば、振り付けのかっこよさとか個人のキレとかはあまり重視せず、曲中の移動とか隊列変化に時間を割いて、「全体の見栄え」を重要視しています。個人のダンス能力の向上はあまりどうでもいいや、ってスタンスってことですね。確かに、隊列を派手にすれば見てる側からすれば見応えはあるのかもしれないけれど、子ども一人一人は「ダンスを楽しむ」とか「ダンスが上手になる」って感覚が薄くなる。隣の子供と合わせる能力は上がるけどね。
運動会が「ダンス発表会」って名前であるならば、観客意識の演技もわからなくはないけど、運動会っていうのは「日頃の体育で培った力を発揮する場」だとするならば、付け焼き刃のこの時限りのダンス練習自体は意味あんのかな、って思います
 
①②③より、「労力の割に、教育的効果が低い」のでは?と思ったのが正直な感想ですね。
当日のこどもたちの様子見ていたら、各学年のダンスよりも、綱引きや玉入れ、リレーを注視して一生懸命応援していましたよ。あの一体感が運動会の教育的意義だと思うのですがね。

ダンスが感動的なのはわかる

集団でやるダンスって確かに泣けるのはわかるんです。親御さんはじめ観ている側も「子供たちがこの日のために頑張ってる姿」が想像できるから泣けるのではないでしょうか。私もあの手の団体演技には弱いクチだったんですが。
でも今年度初めて、児童をサポートする側に入って、「教師にやらされている子供」の構図が見えるとね、なんか泣けなくなっちゃいました。なんかホントに大人たちの自己満足に子供たちを付き合わせているだけじゃないかな~、って。まぁ自分でもひねくれてるな、って思います正直ね。
 

といっても変わらないんだろうが。

仮に私が勤務校で「来年度の運動会ではダンス発表しない案」を提唱しても、まず通らない。それはわかっていますよ。先生も保護者も集団ダンスをこんな視点で見てはいないでしょうからね。でも私自身は、今から来年度の運動会を想像してブルーです。それくらい集団のダンスに疑問を持ってしまった。
 
全国的にはどうなんでしょうかね。私がこう思うのはうちのダンス指導がよくないだけなんでしょうか。ダンス発表にも、子供の自主性が入り込む指導をしている学校はあるのでしょうか。
麹町の中学校の運動会の例もあるし、運動会も改革するポイントいっぱいありそうだな~、と思いながら代休月曜休みの夜をすごすのでした。